夫エルカナ 【No.70】2009-07-15 Wed 06:00
今週の礼拝メッセージでⅠサムエル記1章を取り次ぎました。
そこに登場するハンナの夫エルカナって、私に似ているなぁとつくづく思いました。 妻にそのことを話すと、「そう!」と言われました。 類似点①「神を礼拝する人」(1:3) もちろん私も神を礼拝する人です。 類似点②「妻を愛している」(1:5) エルカナには2人の妻がいましたが、 ハンナのことを気にかけて愛していたことを聖書は記しています。 もちろん、私もそうです、はい。そのつもりです(笑) 類似点③「女心が分からない」(1:8) 実はここがポイントなんですね、残念ながら・・・。 子どものいないハンナは、もう1人の妻から嫌がらせを受け、 食事をする気持ちにもなれないほど、憂いと悩みが積もっていました。 そんなハンナに対してエルカナはこう言いました。 「ハンナ。なぜ泣くのか。どうして、食べないのか。 どうして、ふさいでいるのか。 あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか」 私からしてみると、ハンナを気遣う夫エルカナの優しい言葉のように思うのです。 もし私と同じように感じた殿方がおられれば、奥様は何かを我慢しているかも・・・。 夫のエルカナの言葉にハンナの心は慰められず、痛んでいるのです(1:10)。 私が大学生の時に、ある方が教えてくれました。 「エルカナは女心が分かっていない。 この言葉では、ハンナは慰められないの! どう言われればハンナが慰められるか分かる?」 首を横に振る私に、その方は「女性の気持ち」を教えてくれました。 「『あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか』ではなく、 『ハンナ、私にとって、あなたは十人の息子以上の者ではないか』、 そう言われた時に、初めて女性は慰められるもの」 「子どもがいなくても、10人の子どもにまさる私がいるじゃないか!」 ではなく、 「子どもがいなくても、10人の子どもにまさるあなたがいる!」 こうなのです。 それを聞いた私は、「女性の気持ちの難しさ」を思うのと同時に、 「確かにそうだなぁ」と納得した次第でした。 エルカナの気持ちは、男性心理で、「自分勝手な優しさ」です。 これは様々な形で現代でも現われてきます。 「お前のために、俺は一生懸命働いているんだ」 「何がなくても、俺がいるじゃないか」・・・ しかしハンナは、いや女性は、 「ハンナ、十人の子どもがいなくても、あなたがいる。 十人の子どもにまさるあなたがいる。それだけで嬉しい」 という言葉を言われて初めて涙がぬぐわれるようなのです。 「あなたがいる、それが嬉しい」その気持ちから出てくるものが、真の優しさです。 考えてみれば、まったくその通りなのですが、 しかし男性は自分中心的な愛を持ちがちだなぁと思うのです。 神を礼拝する人なのに、妻を自分なりに愛しているのに、 それでも女性の気持ちを分かっていない、自分勝手な優しさに陥っている、 そんなエ夫ルカナに「似ているなぁ」と妻に言ったら、 無言で、大きく、ゆっくりと首を縦に振っていました! いやはや、「ごめんね、ごめんねぇ~~」(U字工事風に) |
コメント
私も読んでいて『あなたにとって、私は~』の所は、『え?普通逆じゃない?』と一瞬読み間違えてしまったのかと思いました笑
愛があっても、女心男心が分からないといけないけど、でもその足らない所を埋めるのはやっぱ愛しかないんでしょうねー。うん、深イィ~笑 でもなにより、最後にU字工事が出てきたことにびっくりしました笑 2009-07-15 Wed 09:11 | URL | ゆり [ 編集 ]
ゆりさん、どうもです。
「逆じゃない?」と思った? さすが女性やなぁ! U字工事の謝り方も、とっても男性的(笑) 「あー、そうそう、どうせ俺が悪いんや」って感じなので、 末尾に付けました! 2009-07-15 Wed 22:39 | URL | ひよ [ 編集 ]
勉強になります!
ごめんねごめんねー! 2009-07-16 Thu 23:44 | URL | まっちゃん [ 編集 ]
まっちゃんへ
女性は「当たり前やん」って思うんやけど、 男性はそうでもないねんなぁ。勉強になって何よりです。 「そんなのかんけーねー」と言われなくて良かった(笑) 古いなぁ・・・ 2009-07-17 Fri 08:32 | URL | ひよ [ 編集 ]
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