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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

薄桃色に

 Mさんの葬儀の朝(4/23)、MさんがTさんと共に過ごしたここオホーツク地域は、涙雨ならぬ涙雪に覆われていました。その日、1日だけと言ってもいいでしょう、春先の雪はすぐに消えていきました。

 その朝は、紋別へと向かいながらトンネルや峠を抜けて走っていると、常緑樹以外はまだ新芽も出ていない樹々が、雪化粧をしてる様子がとても美しかったのです。それはまるで、桜が咲いているかのようでした。

 大阪では既に、ソメイヨシノは散っていると聞いていました。しかし新芽もまだ出ていない樹々に積もったその雪によって、まるで桜の花を咲かせているかのように見えたのです。Mさんを忍ぶ涙雪かと思っていましたが、復活の希望を垣間見せる春の雪だったようです。

短歌8

 そんな風景を眺めながら、1年ぶりに歌を詠みました。上記のような説明が無ければ伝わらない拙歌ですね。

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驚きつつも

 昨日の記事で、Mさんの難病が疑われる異常な数値が正常に戻り、「もう病院に来なくてもいいですよ」と医師が話されたことを紹介しました。私にはその医師の言葉が「あなたの信仰があなたを救ったのです。すっかり治って達者でいなさい」という、主イエスの言葉のように響いてきました。

 翌週の礼拝(1月10日)で、Mさんは癒しの証しをなされ、ヨブの「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました」(42:5)のようですと話されました。去年、まさにヨブ記を読んでいましたが、38章に至るまで、そして最終章の42章に至るまでの間は、どんなに不安だったことだろうかと思います。

 三浦綾子読書会のある日は礼拝出席されるO会長が、Mさんの証しを聞きながら大粒の涙が頬をつたっていました。女性の涙にはいろいろあるような感じがしますが(今、多くの女性を敵にしました!)、40を過ぎた男性の涙ってドラマじゃないですか。

癒しの報
 
 礼拝では皆さんと一緒に心から主をほめたたえ、癒されたことを大喜びしました。礼拝後、昼食を食べての分かち合いの中でも、その喜びを共有しました。

 ただMさんはどう受け止めたら良いのか分からないほどに、消化することの出来ない神の御業の大きさだったようです。そして「この恵みを体験した者として、その責任をになって歩んでいきたい」というようなことを話されました。

 いやぁ、驚きました。聖書にあるように喜びと主への畏れが同居していること、そして恵みへの応答こそ真の恵みであり、恵みに生かされていくことだという真理に立っておられます。聖霊なる神様が働いてくださっているとしか言いようがありません。

 さあ明日は1月最後の礼拝です。午後にはEnglish Serviceもあります。驚き、喜び、畏れのある、真実な礼拝となりますように。

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めくるめく

 Sさんのご主人が短期海外出張のために、「子どもたちのガス抜きにでもなれば」と思い、Sさんと子どもたちを連れて、今週月曜日の祝日、オホーツク木のプラザに出かけてきました。

 その存在は知っていましたが、こういうことでもなければ親子が楽しめる場所に出かけることのない私たちにとって、良い機会となりました。

オホーツク木のプラザ
オホーツク木のプラザ

 北見駅のすぐ裏という立地、また祝日ということもあって、多くの親子連れで賑わっていました。2人の子どもたちに振り回され、遊ばれて、ありあとあらゆる木のおもちゃや遊具で一緒に遊びました。

 私の観察では、他のどの親子連れも、それぞれ自分の子どもの面倒を見るばかりです。しかしK君やEちゃんは、他の子どもたちに話しかけ、友だちになって一緒になって歓声を上げながら、「蛍の光」が鳴るまで遊びまわっていました。さすがです。遊び疲れた私たち夫婦にとっては、とっても助かりました(笑)

 飽きもせずに何度も何度もすべり台をすべる子どもたちを見ながら、一首、詠んでみました。

めくるめく

 子どもは何度も何度も同じことを「やって!」と言います。何度も同じことを繰り返して、それを心の底から楽しんでいます。私たちの主なる神も同じなのでしょう。規則正しく、毎日、毎日、地球を自転させ、春には春の花、冬には冬の花を、今までも何度も何度も咲かせてきました。主なる神は、決して飽きることはありません。

 昨日も今日もそして次の日も、喜びをもって朝ごとに、まさに新しい恵みを私たちに注いでくださいます。たとえ大人の目には平々凡々と見える一日であったとしても、「It was good。本当に良かった」と、一日一日を見つめておられます。

 明日も、主なる神は喜びをもって私たちを礼拝に招いてくださり、神の国の豊かさを味わわせてくださいます♪

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マイルドキムチ

 時々ですがぶら〜と1人で出かけると、スーパーで適当に食材を買います。自分が好きなものを買うこともありますが、好きじゃないもの、不得手なものも、わざと買って帰ります。

かき鍋
(昨年12月の鍋)

 そんなに好き嫌いはないのですが、牡蠣は小さい頃から苦手ですね。本当は食べたら食べられないこともないような気もするのですが、まぁ1つや2つぐらい不得手なものがあっても良いだろうと、ずっと食べないでいます。

 ただ私が嫌いなために牡蠣の好きな妻が買ってこないので、たまに買ってきてあげるという次第です。鍋の中に入れる時は、私は豚肉を食べているので、まぁお互いに満足という感じですね。

 そんな妻が先日、「今夜はキムチ鍋だけどいいかなぁ? キムチと言ってもマイルドだから」と言うのです。唐辛子などの香辛料、キムチなども私はそんなに好んでは食べません。

 もう既に「マイルドキムチの素」を買ってきた上で「いいかなぁ?」と確信犯的に尋ねられているので、「あ、あー・・・。いいよ・・・」と気のない返事で承知したのは、マイナス18度が最低気温だった今週のある日のことです。

 そこで一句、否、はまっている短歌なので一首。

マイルドキムチ
(今週のマイルドキムチ鍋を食べた後の一首)

 意外や意外、マイルドだったためか、外が凍てつく寒さだからか、美味しかったのです♪ 歌はお粗末様ですm(_ _)m

 さて本州は暖冬らしいですが、北見は雪が少ない分、けっこう冷え込んでいます(雪が多いのもかないませんが)。一週間いろいろなことがあったと思いますが、共にぐつぐつ煮こまれ(?)、心の底から温まる礼拝になることを期待しています!午後2時からは、今年1回目の三浦綾子読書会です。

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皆まで言う

 Mさんがクリスマス祝会で詠んでくださった短歌とは、主題が異なる三首を最初にいただいていました。短歌って、味わい深いですね。

三首

 この三首の中で、最初の一首にある涙は、どんな涙なのかなぁと考えさせられました。私は「受動形」というところで、教科書に出てきた吉野弘の「I was born」を思い出したのです。だからきっと、さびしいような言葉にならない涙ではないかなぁと思いました。

 そこで一首目の涙が少々気になったものですから、素養もないことを承知しつつ返歌を作ってみました。(下の図で、紫のものが私の駄作です。異国出身の方に少しでも分かるようにと、ちょっとした英訳もつけました)

返歌として

 前述の吉野弘を思い起こしたので、短歌なのにまさかの英語始まりです(笑)

 本当は「生かされてゐる」としたかったのです。「ゐ」を使うと何となく短歌っぽいから!しかし「生かされてある」としたのは、創世記1章の「あれ」という、命令するほどに私たちの存在を強く願う主なる神の思いです。そして現代語の「ある」には、否定形がないからです。

 「よし」は掛詞。理由の「由」、そして「良し」。神が天地を創造して「良かった」、「本当に良かった」というその思いです。

 つまり私たちの存在を強く願い、決して否定することなく、「良い」と喜んでくださる神がおられる。その主なる神を知った時に、たとえ「生きゆく涙」があったとしても、そこに必ず泉がわきでるという、詩篇84篇を下の句に持ってきたわけです。

 こんなに説明してしまうと、短歌の意味がなくなってしまいすね〜。皆まで言ってしまう私には、短歌は合わないかもと思いつつ、実はちょっとハマっています(笑)

 ちなみに後でMさんに尋ねてみると「生きゆくことに涙ぐみたり」の涙は、さびしさや侘びしさの涙ではないようです。ふ〜む・・・・。短歌が難しいのか、女性の涙が難しいのか。いと奥ゆかし。

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