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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

愛のマント 【No.22】

 新型インフルエンザの報道がニュースの主役を占めはじめたので、もう草◯君のことはほとんど報道されなくなりました。誰かに大きな被害や危害を与えたわけでもないのですし、いろいろと自己責任はあるでしょうが、これ以上大騒ぎにしなくても良いと思います。

 クリスチャンは、今回の草◯君のことをどのように思われているのでしょうか、今回の◯草君のように「泥酔するまで、我を忘れるまでお酒を飲んではいけない」、ということのみであれば、それは聖書の中心から少しずれているように感じます。

 この度、私が思い出した聖書の人物がいます。それは旧約聖書に登場するノアです。ノアと言えば、邪悪な時代の中で義人として生き、あの方舟を作った人です。とても敬虔な人だったのでしょう。義人であり信仰の人でした。

 しかしその信仰の人ノアは、あの大洪水の後に大きな失態をさらすことになりました。ぶどう畑で収穫したぶどうから作ったワインをたくさん飲み、大いに酔っぱらってしまったのです。そしてまさに今回の草君のように、身にまとっているものを全部脱ぎ、泥酔状態で眠ってしまったのでした・・・。そう、あの信仰の人ノア、義人と言われたノアが、です。

 そして聖書には以下のように記されています。
 

「彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった」創世記9章21-23節



 セムやヤペテがノアにかぶせた着物を、誰が言ったのか、「愛のマント」と表現されることがあります。とても素敵な言葉だと思います。

blanket

 人の失態を見て、そのために何かをするのでもなく、その失態を言いふらす人がいます。そしてもう一方では、その失態を見ないように、辱めないように、覆う人がいます。人の失態を見て言いふらし、いかにも正しいことを言っているようで、実はその傷口に塩を塗るようなことになっていることも少なくないと思います。

 神は罪を犯したアダムとエバに、皮の衣を造られ、その裸を覆われました。義人ノアもその着物で覆って頂いたのです。主イエスの働きは、罪を「あがなう」こと、つまりそれは「覆う」でした。(「あがなう」という言葉には、「覆う」という意味もあります)

 もう充分反省している人の傷口を広げる必要はないでしょう。むしろ、その傷をカバーするもの、覆うものが必要です。私たちはまさに、誰かにカバーされないと、覆って頂かないといけない、そういうものを抱えながら生きているのだと思います。

赤ちゃんと毛布

 包まれている、覆われているって、なんだかあったかいなぁと思います。そこに愛があるからなんでしょうね。そしてそれが聖書の中心です。私も随分、多くの方々にカバーしてもらってきましたし、今もイエス様の愛に覆って頂いている者です。

「愛は、多くの罪を覆うものである」Ⅰペテロ4:8



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