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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

通じない愛 【No.50】

 「通じない愛」があるって、何かの本に載っていたの思い出しました。「愛は必ず通じる」、そう信じて疑わなかったし、聖書もそう教えているとずっと思っていました。それでも愛が通じないこともあるということは、体験的にも知っていたのでした。

 聖書に出てくる信仰の人、また愛の人も、「通じない愛」を経験しています。ダビデの忠信は、サウル王に通じることなく、命を狙われることとなりました。愛の章を記したパウロほど、非難され悪く言われた人物はいないと思うのです。しかもパウロは、自分が生み出した教会の兄姉から非難を受け続けました。

 そして何よりも、神の愛は人々から拒絶され、神の愛の現れであるキリストは悲しみを背負い、十字架にかけられました。もちろんその後、神の愛を体験し信じることが出来た多くの人々がいます。しかし今に至るまで、神の愛は多くの人々に拒絶され、裏切られているのです。

 真実な神の愛が拒絶され、裏切られるのであれば、不完全な人間同士の愛が通じ合わなかったとしても不思議なことではないのでしょう。むしろ、もし愛が通じたとしたならば、それは大いに喜ぶべきことなのでしょう。

 通じない愛を経験した時こそ、「父よ彼らをお赦し下さい」と十字架の上で祈られたキリストの祈りが迫ってきます。愛が拒絶されて通じないというところこそ、十字架のキリストの心を知るところであり、いよいよキリストに近づかせて頂いているのでしょう。

jesus cross

 通じるから愛する、通じないから愛することを止める、それは愛の本質からずれていることなのでしょう。

  「愛はいつまでも絶えることはありません」
                    Ⅰコリント13:13

 相手にすぐに通じるか通じないかではなく、たとえ愛が通じなくても、それでも愛することを止めない、それが愛の本質なのかもしれません。これはもう、十字架の愛以外にはありませんね。そして通じなくても、なおも愛し続ける愛こそが、結果的にいつか通じる愛となっていくような気がします。

 キリストに近づくって、自分の罪ゆえに痛い時もあるんですね~。でもその痛みをも背負って下さっている十字架のキリストのもとに行く時、固くなっていたものが溶かされていく、そういう恵みがあるんですね。

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