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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

同じ話しを何度も 【No.56】

 北海道は移動が遠距離なので、長時間運転が当たり前になります。お近くのN先生(っと言っても2時間半の距離)とは、何度も長距離をご一緒していて、先日も、ある方を訪問する際に、遠距離をご一緒させて頂きました。
 
 用事を終えて帰宅し、夕食をしていた時、私はふと妻に、「あの話し、N先生に前にも話ししたかなぁ?」と尋ねると、
「たぶん3回目やと思う」との返事・・・。「N先生は初めて聞いたかのように応答してくれてるよ。 あんなに記憶力よかったのにどうしたん?気をつけてよ~」と言われてしまった・・・。

 N先生、この場を借りて謝ります。「ごめんなさい」(いつも勝手にblogに登場してもらってなんですが・・・)

 お風呂に入りながら、何故同じ話しを何度もするのか考えました。まだ36歳ですが、若年性痴呆症ということではないと思います。(自己診断) 大きな要因は、北海道に来てゆったりとしたテンポなので、関西で張りつめていたものが、良い意味で緩んでしまっているのでしょう、きっと。

 しかし、単なる「のんびりムード」だけではないということに、おそらく聖霊によって気づかされたのです!それは晴佐久昌英神父の『あなたに話したい』のあとがきを思い出したからです。

あなたに話したい

 晴佐久さんは、「あなたに話したい」のであって、「わたしが話したい」のではない、ということを述べています。つまり会話の主体が、自分にあるのか、相手にあるのかということです。

 自分が話したいことを話しているということは、自分が中心であり、基本的に相手が誰であろうと、そんなに関係ないことになります。しかし「あなたに話したい」という姿勢で話しをしているなら、相手のことを思い、相手が中心になった話題作りを考えているのでしょう。つまり目の前にいる相手が中心なのです。
 
 もちろん会話は相互作用でキャッチボールですから、どちらも中心になるのが本来的なのでしょう。でも同じ話しを同じ相手に何度もするということは、一方的に自分からボールを投げつけているような感じなのでしょう。

キャッチボール

 礼拝説教で同じ例話やたとえ話しを何度も話すことは、不特定多数の方を相手に話しているということであったり、
また真理は何度話しても、強調しても構わないと思うのです。(ちょっと自己弁護?・笑)しかし個人的な会話で、同じ話しを何度もしてしまう、これは自分中心という罪性がなせることなのだなぁと思った次第です。

 もちろん、これは自分に言っているのです。気づかせて下さったN先生と聖霊に感謝!

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