同じ話しを何度も② 【No.57】2009-06-26 Fri 08:00
前述の「同じ話しを同じ相手に何度もしてしまうことは、自分が中心になってしまっている」ということをある方にお話ししました。するとその方は「おー、悟ったね~」と言いながら、自分の家の話しをしてくれました。
その方には、お2人の息子さんがおられます。(聖書にも2人の息子がいるという設定が多いですね!)どこの家庭でもよくあることですが、お母さんが息子たちに同じ話しを何度もするそうです。すると兄の方は、黙って初めて聞くかのようにお母さんの話しにうなずくそうです。さすがお兄さんですね~、模範的です。しかし弟の方は、「お母さん、それは前に聞いたよ」と言うそうです。 父親は弟に「そういう場合は、初めて聞くように聞いてあげるんや~」と言うと、弟は「それやったら永遠に同じ話しを何度も聞くことになるやん」と答えたそうです(笑)私には、この弟さんの気持ちがよく分かります!どこかで誰かが教えてあげないとと、そう思うのです。 しかし父親は言いました、「同じ話しでも何度でも聞いてあげる、それが思いやりっていうもんや」。なるほど~ 私は、心の中で大きく大きくうなずいた次第でした。そう、確かに「それが思いやり」ですね~。そして私には、この種の思いやりが欠けているんですね・・・。どちらかと言うと、事実、筋、正しさ、理屈、そういうものが価値観として根底にあるのでしょう。 同じ話しでも何度もうなずいて聞いてあげるということは、話しの内容を受けとめているのではなく、話しているその人の気持ちを受けとめているということでしょう。そしてそれが真の思いやりというものかもしれません。 ![]() 自分が同じ人に同じ話しを何度もしてしまう時は、自分中心になっているということを反省し、相手が自分に同じ話しを何度もする時は、思いやりでその話しを、否、その人の気持ちを受け止める。 出来るかな?出来ないか? まぁ遅まきながら気づいただけでも一歩前進。これは御霊の実の範疇なのでしょう、きっと。 |
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