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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

手当たりしだいに 【No.236】

「このしるしがあなたに起こったら、
 手当たりしだいに何でもしなさい。
 神があなたとともにおられるからです」
            Ⅰサムエル記10:7

「手当たりしだいに何でもしなさい」
日曜日の礼拝で分かち合ったことの一部です。
恥ずかしながら、知りませんでした。
聖書にこんな言葉があったんですね~。

宗教って「~してはいけない」とか、
「~すべきである」、「~しなければならない」
ということを教えているように感じているかもしれません。

「手当たりしだいに何でもしなさい」というより、
「手当たりしだいに何でもしてはいけません」、
そういう感じだと思うのです、普通は。

スケボー

それは「手当たりしだいになんでもしなさい」の後に続くものが、
「悪いこと」を連想しているからだろうと思うのです。
しかし神を信じている者は、神が私と共におられるから、
だからこそ、その神と共に手当たりしだいに何でもできるのです。

つまり、神と共に生きる時、悪いことをしようとは思わないということです。
そして神と共に、思い切って大胆に良いことをしたいと思うはずなのです。
(サウルはやがて、「神と共に」がなくなってしまったために、
 自分勝手にやりたい放題の悪を行ってしまうことになりますが・・・)
基本的に神と共に生きる者は、積極的に善を行うことができるということです!

私たちは、自分から声をかけて仲直りしたら良いって分かっているのに、
「相手が悪いんだから、謝ってくるまで口もきいてやるもんか!」
そんな決心をしていることもあります。

本当は、優しい言葉をかけてあげたい、こういうこともしてあげたい、
でも大きなお世話と思われないだろうか、出しゃばることになったり、
周りが変に思うかもしれない・・・と思い、結局何もしないこともあります。
ロマ書7章のパウロの葛藤のようなものです。

ロデオ

しかし聖霊が注がれて「新しい心」が与えられ、「新しい人」に造り変えられるなら、
神と共に、なそうと思う善を素直に、心から、大胆に行うことができるのです!
「善を行わなければならない」という古い心ではなく、
「そうしたい」「そうせずにはおれない」という新しい心なのです。
「手当たりしだいに何でもなしない」とは、そういう意味なのでしょう。

神と共に歩んでいくということは、禁止事項で人を縛ったり、
こうしなければならないという強制で人を萎縮させるものではありません。
神と共に歩み始める時、解放されて、自由に、大胆に、生き生きと、
あの人のために、このことのために、
神と共に「手当たりしだいに何でもしたい」、
そういう生き方をさせて頂けるのです! ハレルヤ~♪




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