建設中 【No.349】2010-08-03 Tue 06:00
スペインのバルセロナに、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)
という教会があります。 この教会はクリスチャンじゃない方の方が詳しいでしょう。 アントニ・ガウディ設計によるもので1882年に着工し、 完成までにはまだ1~2世紀かかるとのことです。 修復と新築を同時進行しているところに、のどかなスペイン気質がうかがえます。 ![]() 私はよく牧師として「完全な教会はありませんよ」と信徒の皆さんにお話しします。 「自分を見ても分かるように、教会は決して完全な人の集まりではなく、 自分こそ罪人の頭と告白する、赦された罪人の集まりです。 だから欠けているところを指摘し合うのではなく、 むしろ補い合っていく、教会とはそんなところです。 聖書を見ても、完全な教会は1つもありません。 不完全な者の集まりですから、地上においては教会は完全ではありません。 問題があることが問題ではなく、その問題をどのように対処していくのか、 本当の問題はそこにあります」 以上のようなことをお話しします。 そしてそのことは聖書的に間違っていないと思いながらも、 どこか心の中で完全に前向きになれないような思いもありました。 それは「完璧主義」の反動として語っていることが原因だと思います。 反動で語っている言葉は、どんなに正しくてもやはり健全なものではなく、 自分自身が心の底から納得できないなぁとつくづく思います。 そんな時、サグラダ・ファミリアのことを思い出したのです。 建設中に礼拝がなされていないというわけではなく、 修復と新築を同時進行しながら、長い年月をかけて教会建設をしています。 これはキリストの体である教会(信徒の集まり)の姿と まさに同じだなぁと思ったのです! 「教会は、完全なところではありません」という以前からの私の言葉よりも、 「教会は、今も建設中です」という言葉の方が聖書の意味を真に伝えています。 「~ではない」という否定形の定義ではなく、 「建設中です」という肯定的な言葉、 そして何よりも日々建て上げられていくという希望が満ち溢れています♪ ![]() 完成しきったところではありませんが、 キリストにあってみんなで一緒に建て上げられていく、 そんな全世界の「建設中の教会」で、 喜んで共に神様に礼拝を捧げられるということは幸いなことです。 「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、 そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、 霊なる神のすまいとなるのである」 エペソ2:21-22 |
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