心を探られ2011-08-02 Tue 06:00
(先週の続き)
保険会社に電話をすると、まずはお見舞いの言葉がありました。 そして北見地方で雹の被害件数が多いとのことでした。 とても丁寧に説明して下さり、以下のことを尋ねられました。 「お客様の方で塗装会社などに依頼して 被害の状況と見積もりを出していただくか、それとも、 私ども(保険会社)で鑑定士を派遣して被害状況を確認しましょうか?」 正直に私の心の中を告白します。 出来れば、私が塗装会社に依頼して、 保険が適応される20万以上の見積もりを出してもらおうか、 そういう心の動きがあったことは、牧師として情けないのですが事実です。 しかしどうしても「私が塗装会社にお願いします」とは言えないのです。 牧師として自分の心に自分がブレーキをかけたのか、 それとも「やましい」思いを察知した聖霊が留めて下さったのか・・・。 私は「どちらでも良いですよ。お任せします」と答えました。 話しの流れの中で、同じような会話が2回続きましたが、 2回とも「お任せします」と私は答えました。 すると保険会社の方は、「それでは、私どもの鑑定士を派遣します」と 返事をされました。 ![]() 保険会社の方は続けて、「北見では今、たくさんの物件を調査しています。 屋根なので高所作業車も必要となってきます。順番に回っていますので、 鑑定士がお伺いするのは、来週の初めぐらいになると思います」 と言われました。私は「お願いします」と言って電話を切りました。 電話を切った後、「これで良かったのだろうかぁ」と思いました。 「こちらで塗装会社に見積もりをお願いします」って言えば良かったかなぁ、 そんな風にもまだ思っているような節もありました。 そのことを正直に、妻に話しました(まるで罪の告白です・・・)。 すると妻は「それで良かったと思うよ。 何か操作をしたり、便宜をはかってもらったり、 そうして教会のことを進めていくと、罪責感や後ろめたさを抱えるし、 教会は聖なる神の働きだから」と言いました。その通りです。 私の中に、この雹災を用いて、教会の屋根を全部塗装したい、 そういう下心が大きく、そして「べっとり」とありました。 嫌な自分、罪深い牧師だなぁと思います。皆さん、ゴメンナサイ。 (ヤコブ5:16) 私を聖なる者とするために注がれた「神愛」が薄くなっているのは、 どうやら教会の屋根の文字ではなく、私の心の中でした。 聖なる者とする神の愛が薄くなっているだけではなく、 ペンキのようにべっとりと下心が塗られています。 ![]() 保険に関する様々な操作のようなことは、いろいろと耳にします。 保険会社の方も悪質でない限り、ある程度は許容しているように思います。 そして保険会社には、不払いが日常的にあったことも報道されています。 だからと言って、私の心の動きが正当化されるわけではありません。 まして神の前に生きる者として、そして神の教会のことに関して、 様々な下心を持ちながら物事を進めていくことは出来ません。 詩篇139篇を思い起こします。
いろいろと自分の心が探られました。 誘惑に負けないように、主が守って下さり、憐れみを感じます。 そして今、あの時保険屋さんが鑑定士を送ると言って下さり、 結果的にそうなったことを心の底から感謝しています。 私が業者に依頼して見積もりを出してもらうのではなく、 保険会社から遣わされる一級建築士の鑑定士がやってきて、 一体どのように鑑定されたのか、それはまた明日に続きます。 |
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