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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

良き友

牧師を志してから、海外留学を考えたことがありました。
学費や様々な環境も不思議に整えられたのですが、
結局のところその道を選びませんでした。

行ったら行ったで「学んできて良かった」と思っているのでしょうが、
行かなかったら行かなかったで「これで良かった」とも思っています。

そういうこともあってか、海外留学をした同僚の友人たちには、
「私の分も学んできて欲しい」と伝えていました。

留学をする同僚には、しっかりと学ぶ義務と責任があり、
同時に私には、留学をしてきた同僚に対して、
彼らが学んできたことを質問する権利があると思っています!

それは、休職をして海外留学に行くのですから、
しっかりと学んで、現場に還元してもらいたいのです。

人の歩み

そんなしっかりと学んでいる友人M君に、1つの質問をしました。
質問内容は、具体的にいろいろとありますが、簡単に要約するとこんな感じです。

「Aという神学的な立場と、Bという神学的な立場は、
 アウグスティヌス以降、今に至るまで争われてきた。
 (AもBも異端ではなく、いわゆる正統的神学です)

 僕自身は、AもBも聖書には含まれていると考えている。
 どちらに力点を置くかという違いはあったとしても、
 一方が一方を否定することは、聖書の豊かさを否定することにならないか?

 1つの神学的立場を絶対化して他の立場を攻撃することは、
 ひいては神の偉大さを1つの神学的立場に押し込めることにならないか?
 そしてそれはとても恐ろしいことではないだろうか?」



M君は、AとBに対する個人的な見解を述べるのと同時に、
聖書的真理と論理性についての説明を加え、
まとめとして以下のようなことを言ってくれました。

 「Aに立つかBに立つかということよりも、
  AやBを用いて相手の徳を高めることを語っているかどうかが大切。

  もし人の徳を高めないなら、
    どちらの神学/教理だろうと、非キリスト教的だが、
  人の徳を高めるなら、
    どちらの神学/教理だろうと、キリスト教的だと思う



AもBもいわゆる正統的な神学的見解という前提条件は必須ですが、
私はこのM君の返答に大切なことを教えられ感謝しました。

「何が正しいのか、間違っているのか、
 本来はこうあるべきだ、ここがおかしい・・・、」
そういう議論が無益だとは思いませんし、必要なものです。

しかし目指しているところが、「人の徳を高める」方向か、
主の御名が崇められることなのか、キリストに近づくことなのか、
そういうことが抜け落ちていたら、どんなにキリストのことを語っていても、
それはキリストから離れたものとなっていくということでしょう。

良き進言を得られた幸いと、良き友人がいることの幸いを、
心から神様に感謝しています!

(ある牧師に、上記のことを話したら、ほとんど私の感動が伝わりませんでした。
 果たしてBlogの読者にも伝わるかどうか???)

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