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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「一本の樫の木」

昨日の記事の続きです。
残念ながら却下された『一本の樫の木』の紹介文は、
本日のblogにて紹介します!
少々長いのですが、お読み下されば幸いです。

『一本の樫の木 淀橋の家の人々』
 関屋綾子著、日本基督教団出版局

何故か懐かしい
 淀橋と聞いても、写真店しか思い浮かばない関東に不慣れな者です。しかし『一本の樫木 淀橋の家の人々』を読む時、明治・大正・昭和という時代の中で、三世代に渡って信仰が継承されている淀橋の家の人々を何故か懐かしく思うのも不思議です。

淀橋の家の人々
 著者の関屋綾子は、日本YWCAや聖書に基づく女子教育の指導に生活を捧げた人です。祖父である初代文部大臣・森有礼が、どこにもキリスト者であったという証拠がないのに、生き方そのものがキリスト者でなければ辻褄が合わないこと。祖母の森寛子(岩倉具視の五女)が、有礼の前妻の子たちと我が子の明を分け隔てなく育てていたこと。父の森明が「血みどろなる十字架」をそのまま生きた早逝の伝道者だったこと。母の森保子が伝道者の妻として、「この道を行くもの独特のよろこびも苦しみも味わった」こと。そして兄の森有正のおそろしいまでの厳しさと生命がけのやさしさが、一つの根から生まれていること。また寛子と明が洗礼を受ける決意へと押し出したのは、植村正久牧師の「親孝行に相談がいるのか」という一言であったこと。そういう淀橋の家の人々のことが記されています。

祖母の祈り
 特筆すべきは、祖母の祈りです。寛子は晩年の二十数年間、聖書を前にして毎朝二時間、毎夕一時間を一人祈っていました。幼き綾子が祖母の部屋で眠ったある真夜中、祖母が五〇人を越える甥や姪の名前を呼びながら、神に話しかけている姿を見ました。聞いたこともないような全身全霊の祈りの声を聞きながら、誰かのために祈ることの意味を理屈や形ではなく、心全体に浸み渡るように注がれてきたというのです。飽きることのないとりなしの祈りによって、誰がいつ来ても昨日会ったような親しみで一人一人を受けとめていたことを、綾子は知っていました。聖書の祖母ロイス、母ユニケ、そしてテモテへとその信仰が継承されていることを思い出さずにはおれません。

クリスチャンホーム
 兄の森有正は、決してテモテのような模範的な信仰者として歩んだとは言えないところもあるでしょう。しかしそれは信仰の父と呼ばれるアブラハム、イサク、ヤコブの三代を見ても、聖書には何の問題もない模範的な家庭というものが記されていないことと同じです。クリスチャンホームとは、何の問題もない模範的なものを目指さなければならないのではなく、破れたところ、人には言えない家庭の問題にこそ、主の十字架が立てられていくところとなります。

いつまでも残るもの
 淀橋の家のように、祖父母が住んでいた家のことを、地名と結びつけて呼ぶことがあります。誰しもそれぞれの家人だけがよく分かるその家の雰囲気や、象徴している何かが幼き日の記憶と共に思い出されるものです。関屋綾子が祖母の祈りと共に思い出さずにはおれなかった淀橋の家、十字架を象徴しているかのような一本の樫の木のある淀橋の家で、その家や木がなくなっても残る大切なものが確かに継承されていきました。私たちの家では何が大切にされ、何が継承されていくのかということを自問しながら読む一冊でしょう。




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