私は戦う2013-06-18 Tue 06:00
先日の朝、聖書日課でエペソ書を読んでいました。
すると6章12節に、以下のように記されていました。
そして妻とお互いが聖書から教えられたことを分かち合い、 私はだいたい以下のように話しました。
そんな立派な分かち合いをして、しばらく朝の祈りを捧げ、 その日にすべきことに取りかかっていました。 ![]() そこに1本の電話がかかってきました。 最初はおとなしく聞いていたのですが、ある大きな事実誤認に腹を立て、 「それは違います」と反論を始めました。 電話を切った後、どうして聞き流せなかったのか。 どうして寛容になれなかったのか。 事実誤認を一度説明して理解してもらえなかったら、 それは事実を認めたくないという感情論なのだから、 全ての事実・真実を知っておられる主に委ねれば良いのに。 電話を切った後の後味の悪さ。 数時間前に「戦う相手を間違えてはいけない」と教えられ、 気持ちの良い朝の祈りを捧げたばかりなのに・・・。 榎本保郎先生が、以下のように言っています。
どれだけ自分の正当性を論破できたかではなく、 どこまで寛容になることができたか。 譲ってはいけないことがらを主張する時にも、 どれだけ愛をもってその真理を語っているか。 愛が無ければ一切は無益なのだから。 そして戦う相手を間違えてはいけない、 痛いほどに強くそう思ったのでした。 ![]() にほんブログ村 日記
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