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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

ウナギの香り

 あっと言う間に迎えた1月最後の日曜日。この日の礼拝奏楽は、AさんとHさん。お2人ともクラシック出身だからでしょうか、旋律と音色の美しさが迫ってきます。プレイズ&ワーシップでは特にリズムが重要なので、電子ドラムが入るとさらに素晴らしいなあと思いつつ、私は会衆席で賛美を捧げていました。以下は、礼拝メッセージの断片集です。

 初代教会の大きな特徴として、どこからが教会生活で、どこまでが家庭生活、社会生活という区切りがなく、それらが調和していることを挙げられるでしょう。主の日の日曜日、教会の中だけで喜びと真心とをもっていたわけではなく、月曜日から土曜日までの日常生活の中でも神を賛美し、喜びと真心をもって歩んでいたのです。



 もし私たちの生活の中で喜びが小さくなっているようでしたら、それは主なる神を喜ぶことが小さくなってしまっていることが原因ではないでしょうか。もし私たちが真心をもって生きることよりも、「もういいやあ」、「どうせ〜だから」、「仕方がない」というような思いが心を覆っているとしたなら、それは主なる神に対する真心が小さくなっているからでしょう。主なる神への私たちの姿勢、主の日の礼拝における私たちの姿勢と、日常の生活とはリンクしていくのです。私たちは主なる神がくださる何かではなく、主ご自身をもっと喜ぼうじゃありませんか!



20170129
(250字のエッセンスは、コチラ

 2:47を読むと、キリストを証しするということは、大きく2つのことがあるようです。喜びと真心をもってキリスト者が歩んでいる姿が「すべての民に好意を持たれていた」とあるように、1つは無言の証しというものです。生活全体を通して、麗しいキリストの香りを放つということです。不機嫌や不平・不満の香りではなく、キリストから与えられる喜び、感謝、真実、平安、そういう香りです。私たちはどのような香りを周囲に放っているでしょうか。

 続いて「主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった」と記されています。「あの人はいい人だなあ」で終わっていなくて、キリストの福音を語り、キリストによって救われる方々がおられ、教会のメンバーに加えられていったということです。もう1つは無言の証しではなく、福音を語るということです。
 
 確かに香りは大切です。でも香りだけではなく、中身を知ってもらう必要があります。例えば、「今日の晩御飯は、ウナギの・・・・香り!」と言われてウチワで蒲焼きの臭いだけ送られても、実際に食べてみないと味わえません。聖書朗読をしていただいたように(ロマ書10章)、「主により頼む者は、失望させられることはない」ということ、「主の名を呼ぶ者は、みな救われるということ」、そうやってキリストを語り伝えないと、聞いたことのないことを信じることはできませんし、信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについての言葉によるとあるとおりです。

 そのように証しする力を聖霊によって与えると約束された主イエスの言葉が(1:8)、どのように成就していったかが記されている、それが「使徒の働き」です。そして私たちの教会もその「使徒の働き」を受け継ぐ教会として、同じ聖霊の力が注がれているのです!



 昨日、スーパーから来たメールを見ながら妻が「明日は、愛妻の日だって!はは〜ん、1月31日でアイ・サイなんだ〜」とのこと(「日本愛妻家協会」)。私は「ふ〜ん。なんじゃそりゃ」と連れ合いにつれない返事をしておりました(笑)

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