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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

つぶやきを祈りに

 8月11日(日)の礼拝。この日の礼拝後すぐ、私はCAキャンプに出かけました!以下は礼拝メッセージの断片集です。

20190811
(250字のエッセンスは、コチラ

 モーセは、イスラエルの民全体から、不平不満・つぶやきの嵐という攻撃にあいました。つぶやきたくなるのは、むしろモーセの方だと思います。どんなに苦労して出エジプトしきたことでしょうか。しかしモーセはつぶやかなかったのです。モーセは主に叫びました。すなわち主に祈ったのです。

 つぶやきからは、何の良いものも生まれてきません。むしろつぶやきは、私たちの心を、魂を、信仰を、人生全体を病んだものにします。しかし祈りは、愛と真実な神との交わりなので、私たちの魂を癒し、生かします。つぶやきを祈りに変えましょう。

 私たちの生活にはつぶやきたくなることが多くあります。しかし「こんなことがあって、あんな風に言われて、もう嫌だ、しんどい、おかしい」と、そこで終わらせてはいけません。その後、「主よ、助けてください」「主よ、憐れんでください」「主よ、あなたはどう思われますか」、そうやって、つぶやきを祈りに変える、これが信仰です。聖霊に励まされて、つぶやきから祈りへ、私たちの唇を主なる神に向けましょう。



 私たちの人生には苦みを味わうものがあります。ここでマラというのは苦いという意味で、のルツ記にも出てくる印象的な言葉として有名です。飢饉によって夫と2人の息子と共に外国へ亡命したナオミ。しかし夫に先立たれ、そればかりではなく、2人の息子にも先立たれ、息子の嫁ルツと共に故郷に帰ってきました。その時、ナオミは「私をナオミ(快い)と呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください」と言いました。決して甘くはない、苦しいほど苦味を味わう、そういうルツ記の1章を思い出します。

 しかし愛する兄姉、私たちの主イエスは、苦き坏をその身に飲み干してくださったお方です。罪のゆえに、不信仰のゆえに、つぶやいて、嫌になって、誰かのせいにしてしまう、そんな私たちの人生の苦さを、主イエスは全て飲み込み、十字架の上で罪の赦しを祈られました。私たちの代わりに、私たちの罪やのろいを背負い、十字架に掛けられた主イエスがいます。そして罪と死を滅ぼし、3日目に甦り、主イエスは信じる者と共におられます。この主イエスと共に歩む時、私たちの人生の苦さは癒され、生ける水が溢れてくるのです。



(1日1章 エズラ9章「長たる者が先だって」)

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