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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

そばで聞き

夜中など教会の電話がなる時、また携帯のメールに通知がある時、
「主よ」と心の中で、あるいは一声出して応答や確認をします。

職業がらと言っても良いのでしょうか、
牧師は消防士や救急隊のようでもあるので、
良い知らせよりも良くない知らせを聞くことが多いからです。

だからこそ時にある良き知らせなどは、
自分のことのように嬉しいものです。

またそれは良くないと思っていたことを、
主が良くして下さったという知らせの場合もあります。

(あ、良くない知らせを遠慮する必要はありませんよ。
 消防士や救急隊が緊急な時のために備えているように、
 牧師も牧師の働きをするためにいるのですから!)

一輪のチューリップ
(世話をしていないのに毎年咲く一輪のチューリップ)

もちろん牧師でなくても、人は悲しい知らせを聞くものです。
私たちが生きるこの現実の生活には、受け入れたくない出来事があり、
生きる力を奪うような言葉を聞くことがあります。

まさかと思うようなことを宣告されることもあります。
一縷(いちる)の望みさえも消えてしまう現実を告げる言葉を、
閉じることのできない2つの耳で聞くことがあります。

そんな時、マルコ5章のヤイロの出来事を思い出しました。
その場にうずくまるような思いで、娘の訃報をヤイロは聞くのです。
そしてその時、主イエスはヤイロのすぐそばにおられました。

 イエスは、その話のことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた。
 「恐れないで、ただ信じていなさい。」 マルコ5章36節


このマルコ5章36節を私は忘れません。
失望の言葉、悲しみ言葉をヤイロは1人で聞いたのではなかったのです。
主イエスも、すぐそばで聞いておられたのです。

そしてヤイロが何を話して良いのか分からないその時(詩篇139篇参照)、
主はヤイロのすぐそばにいて、力強くそして確かな言葉で励まし、
ヤイロの内にある信仰を引き出すのです。

人が悲しい知らせを聞く時、聞きたくない痛みの言葉を聞く時、
主イエスがそばで共に聞いておられるという信仰の現実があります。

口語訳聖書では「イエスはその話している言葉を聞き流して」と訳し、
娘の死という悲しい現実にうずくまるのではなく、
「恐れないで、ただ信じ続けなさい」という希望の現実を開かれます。



Tommy Walkerの「He knows my name」を、
Israel Houghtonも歌っていたのですね。
ヤイロの出来事から思い出していた賛美です。

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