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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

私は戦う

先日の朝、聖書日課でエペソ書を読んでいました。
すると6章12節に、以下のように記されていました。

「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」


そして妻とお互いが聖書から教えられたことを分かち合い、
私はだいたい以下のように話しました。

「戦う相手を間違えてはいけないなぁと思う。
 論戦をして誰かに勝つ、自分の正当性を認めてもらうとか、
 それは主イエスの十字架の勝利から離れてしまう。

 私たちが戦う相手は闇の世の主権者であって、
 決して血肉(人間)ではない。
 それを間違わせるのがサタンの策略なのだろう(6:11)。 
 
 またへブル12章4節にあるように、
 人の罪や弱さを責めることに終始してしまうのではなく、
 自分の内側にある罪や弱さに対してこそ、戦う必要があるでしょう。
 
 さらに20世紀のヒューマニズムからくる平和主義に影響されて、
 『戦わない』ことを選択してしまうのも良くないでしょう。
 聖書は、しかも新約聖書においても、何度も何度も
 信仰の戦いを戦い抜くことを教えているのだから。
 
 戦う相手を間違えてはいけない」

 
そんな立派な分かち合いをして、しばらく朝の祈りを捧げ、
その日にすべきことに取りかかっていました。

聖書

そこに1本の電話がかかってきました。
最初はおとなしく聞いていたのですが、ある大きな事実誤認に腹を立て、
「それは違います」と反論を始めました。

電話を切った後、どうして聞き流せなかったのか。
どうして寛容になれなかったのか。

事実誤認を一度説明して理解してもらえなかったら、
それは事実を認めたくないという感情論なのだから、
全ての事実・真実を知っておられる主に委ねれば良いのに。

電話を切った後の後味の悪さ。
数時間前に「戦う相手を間違えてはいけない」と教えられ、
気持ちの良い朝の祈りを捧げたばかりなのに・・・。

榎本保郎先生が、以下のように言っています。

「寛容でおれないのは、自分の立場がなくなるという恐れがあるからである。寛容な人は勇敢な人である。寛容になれないのは臆病だからである。神が自分を守っていて下さるという信仰に立ったとき、私たちは人を迎え入れていくことができる」「失敗が悪いのではない。失敗を悔い改めないのが悪いのです」


どれだけ自分の正当性を論破できたかではなく、
どこまで寛容になることができたか。

譲ってはいけないことがらを主張する時にも、
どれだけ愛をもってその真理を語っているか。
愛が無ければ一切は無益なのだから。

そして戦う相手を間違えてはいけない、
痛いほどに強くそう思ったのでした。

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