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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

『信仰の友への手紙』

所属グループの機関紙に掲載された良書紹介文です。
昨年11月に執筆した時点では、まだ在庫があったのですが、
現在はどうやら品切れのようで、残念です・・・。

『信仰の友への手紙』
ユージン・H・ピーターソン著、いのちのことば社


「よくないね」
 最近、友に手紙を書いたことがありますか。もちろん手紙よりもSNSで互いの近況を報告し合う時代です。「いいね!」(Like)と親指を上に向け、インターネットでつながっている世界中の「友達」と日常的な情報を分かち合うことができます。しかし気軽に「いいね!」とはとても言えない、「よくないね」(Dislike)と思わずにはおれない面倒くさいことこそ一人の真の友人に分かち合われ、その助けと祈りが必要です。「いいね!」という小さな感謝と同時に、「よくないね」と思う痛みを受け入れ合う隣人との関係こそ主イエスの愛に近いはずです。

主イエスの友としての友人
 『信仰の友への手紙』は、ピーターソンのもとに届けられた数々の実際の手紙に対して、グンナルという一人の友人に返信を書く形式をとっています。主イエスが私たちを友と呼んで下さったように(ヨハネ一五・五)、ピーターソンは主イエスの友としての友人に「意見を一方的に主張したり、みことばを盾に挑んだりすること」はしません。長い間信仰から離れていたグンナルこそが、信仰の中にいるピーターソンよりもどれだけ神について考えてきたに違いないのだから、神の前には「ぼくたちの人生はたいして異なっていないのだろう」という友人としての真実な思いが、一通目から五四通目まで貫かれています。

信仰の友への手紙

友人との語らいとして
 大まかに私が心に残った内容を羅列してみますと、「宗教的生活と霊的生活の違い、教会は人のものではなく神のものであること、人のたましいの状態を評価することがどんなに危険であるか、自らを空しくすることこそ聖霊に満たされる備えだということ、信仰生活とは自分が何をしているかではなく神が私に対して何をしているのかを知ること、祈りについて最も重要なことは主イエスが今も私のために祈ってくれているということ、不満解消の手段としての神ではないこと、良い教会探しをすることは良い結果にならないこと、牧師と信徒について、真の受容について、聖餐の意味について、砂漠を通ること、聖霊に導かれて歩むこと、失格の部分こそがふさわしい資格なのかもしれないこと、神に見捨てられたという感覚が聖書的だということ、聖書や信仰良書について、・・・」などという内容を、大上段から説き明かすのではなく、時候の挨拶や冗談を交えた友人との語らいをそのまま手紙にしています。

手紙を書く
ルカがテオピロに知ってもらいたくて丹念に調べて綴った福音書や使徒行伝、パウロがオネシモをとりなしながら記したピレモンへの手紙、愛のゆえにいささかきつい口調で記したガラテヤの兄姉への手紙など、「いいね!」とは言えない事がらを祈りつつ真摯に記した聖書書簡を貫く信仰が、『信仰の友への手紙』にも流れています。熟読後、長く信仰から離れている友のことを思い、祈りつつ手紙を書き始めることでしょう。

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