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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

共に生きる生活

12月最初の日曜日の礼拝で、ヨセフへの受胎告知の場面を通して、
ヨセフが一言も言葉を発していないことに注目しました。

ヨセフは自分の正しさを主張して、相手を責め立て、不平不満を口にし、
我が身を呪う権利があったはずですが、彼は口を開きません。
 
ひたすら沈黙しながら、神の前に思い巡らしています。
それがヨセフの正しさと愛の源だったのでしょうと分かち合い、
ボンヘッファーの『共に生きる生活』の1節を紹介しました。

「ひとりでいることのできない者は、
   交わりにはいることを用心しなさい。
 
 交わりの中にいない者は
    ひとりでいることを用心しなさい。
 
 ・・・ひとりでいる日がなければ、他者と共なる日は交わりにとっても、
      個人にとっても、実りのないものとなる」



まるで主なる神では不足でもあるかのように、
いつでも誰かに自分の悩みを吐き出さないと気が済まず、
一人で黙って主の前にその悩みを持っていくことが出来ない私たち。

いつも誰かを巻き込み、誰かに共感され、誰かに聞いてもらい、
誰かに自分と同じ気持ちになってもらえないと我慢できず、
結局、神の思いよりも自分の思いだけが心の王座を占めている、
そういう私たちの弱さをボンヘッファーは鋭く指摘しています。

もちろん、交わりの中にいようとしない者への弱さを同時に指摘し、
人の罪や弱さは両極端に走り、
神から離れているという点で同じだということがよく分かります。

主の前に集まって共に祝うアドベント、クリスマスであるのと同時に、
1人主の前に静まって、主を思い巡らすクリスマスをお勧めしました。

共に生きる生活

『共に生きる生活」を改めてパラパラめくり、
自分が赤線を引いた多くの箇所を読み直してみますと、
ボンヘッファー先生はとっても鋭いことを指摘なさっております。

少々論理(理屈)が過ぎるような感じもしないわけではありませんが、
基本的に彼は神学者ではなく牧師ですね。
その行間に、彼の主張ではなく、信仰がにじみ出ているように思います。

本を読んでも、どうしても頭に残らないものなのですが、
骨となり身となっていく読み方をしたいなぁと思います。
来年の頭、もう一度、読み直してみるつもりです。

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