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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

汝なお1つを欠く

2月9日の礼拝メッセージの断片集です。

 この青年は人と人との関係を教える十戒の後半を文字通り、誠実に守っていたのでしょう。特段、誰にも迷惑をかけずに、立派に歩んでいる青年だったのでしょう。

 「人に迷惑をかけない」ことが、日本人にとっても1つの行動基準や指針となっているようです。しかし人に迷惑をかけないで生きていくことなど誰も出来ないはずですし、「自分は誰にも迷惑をかけていない」と思っていることは大きな勘違いでしょう。もちろんむやみやたらに誰かに迷惑をかけていくことは好ましくありません。しかし「人に迷惑をかけない」という基準を突き詰めていくと、「私はあなたに迷惑をかけないから、あなたも私に迷惑をかけないで欲しい」という空しい関係を作りだしていくことにもなりかねません。
 
 さらに言えば、「迷惑をかけなければそれで良い」ということにもなっていきます。しかし聖書は「人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です」(ヤコブ4:17)とはっきりと教えています。たとえ誰かに迷惑をかけなくても、隣人に対して自分がなすべき善を行わず、見て見ぬふりをして生きていくことを、聖書は罪だと教えるのです。この青年は、確かに盗んではいなかったでしょう。しかし豊かに与えることもしていなかったのです。



20140209


 「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた」(21)とありますが、少し訳が弱いです。「その人をいつくしんで」は、「イエスは彼を愛された」と明確に記されています。他の箇所では「愛した」と訳されている言葉です。英語では分かりやすく「Jesus looked at him and loved him.」となっています。

 今日のこの絵は(上の絵)、有名な絵と言いますか、どこかで皆さんも見たことがあると思います。見たことの無いようなお顔をされていますが、この場面を描いた全体の絵ではなく、よく主イエスの顔だけが用いられています。このようにです(下の絵)。ありますよね?印刷や画像によって印象は違います。それでもこの絵を見る時、「Jesus looked at him and loved him.」という主の愛の眼差しを思い出して欲しいのです。決して視線を逸らしているのではありません(笑)上の絵を見ると、むしろ視線を逸らしているのは青年の方だと分かります。

 主イエスは視線を逸らすことなく、今日も、そして今週も、私たちに対しても同じ愛の眼差しを向けながら、聖書や祈りを通して語られます。この主の愛が聖霊によって私たちに注がれていることを知る時、天に宝を積む歩み、すなわちあなたの隣人を愛して生きていくことができます。そして自分中心の人生ではなく、主を愛し、主と主の言葉に従って歩んでいくことが出来るのです。



ホフマン

 学生はテストの前になると、急に部屋の片付けをしたくなることがないでしょうか。また締め切りのある仕事があるにも関わらず、急に思い出したかのように、今まで放置していた別の用事に取りかかることはないでしょうか。

 1番大切な1つのことを避けて、そこに向き合わず、2番目や3番目ぐらいのことを行うことで、自分や周囲の人を納得させていくようなことはないでしょうか。

 今朝、主イエスは、あなたに欠けている大切な1つのことを示されるでしょう。主はあなたの近くにいるこの人を愛し、仕えるように示すのに、自分が愛しやすい他の誰かにすり替えるようなことをしてはいけません。主は、この主の言葉に従え、またこのことを止めよと教えているのに、従いやすい他のお気に入りの御言葉をもってきて、それで代用するようなことをしてはいけません。

 主の言葉を無視する時、この青年が生き生きと生きる永遠のいのちを求めていたにも関わらず、顔を曇らせ、悲しみで満ちていったような歩みとなってしまいます。主は今も私たちを愛の眼差しで見つめます。主は私たちを責めているのではなく、愛しているのです。「わたしについて来なさい」と言われる主は、私たちを癒して、強めたいのです。聖霊は主の愛を豊かに注がれます。ご一緒に祈りましょう。



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