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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

エリコの街で

3月16日の主日礼拝メッセージの断片集です。
天気の良い、恵みの暖かい陽が射し込む朝でした。

 エルサレムに向かうエリコの街を出たすぐその道ばたに、多くの盲人が物乞いをしていました。ずらっと列になって並んでいるその中で、バルテマイだけが主イエスの名前を呼びました。つぶやいたのではなく、目が見えない自分の人生を最悪だと殻に閉じこもったのでもありません。目は見えないけれども、聞こえる耳でしっかりと信仰を持って主イエスのことを聞きました。そして目は見えないけれども話せるその口で、ダビデの子イエスの名前を呼続けたのです。

 信仰を持って主イエスの名前を呼び続けていくことこそ、今まで見えなかったもののが見えてくるという道を作っていくのです。先週、私たちはどれだけ主イエスの名を呼んだでしょうか。


20140316

 主イエスの名前には力があると言って、「イエス様、イエス様、イエス様・・・」と何十回も何百回も念仏のように唱えれば良いということではありません。名前を呼ぶということは、そこに人格関係、愛の関係があるということです。嫌な人、良くない関係の人の名前を呼ばずに、代名詞や主語の無い会話をすることがあります。名前を呼ぶということは、その関係を大切にしているということなのです。

 マルコ福音書で信仰を持って主イエスの名を呼ぶのは、目の見えなかったバルテマイだけなのです。またマルコ福音書で奇跡を体験した人の中でで、名前が記されているのはこのバルテマイだけです。主イエスとバルテマイの間に、信仰による人格関係が生まれていることを私たちは知るのです。

 今週、信仰を持って、愛を持って、主イエスの名前を呼び続けていこうじゃありませんか。その時、実は主ご自身が、私たちの名前を呼んでいて下さったいたことに気づくのです。

 

さてあかんぼうは

 バルテマイは、自分の商売道具でもあり、寝具や雨露をしのぐためになくてはならない上着を脱ぎ捨てて、主イエスに近づいていきました。もうこの上着が自分の人生を守るのではなく、主イエスが私を支え、救い、守って下さるという確信があったからです。上着を脱ぎ捨てるとそれを誰かに盗られるかもしれませんが、もう自分はここに帰ってくることはない、主イエスと共に新しい人生を歩むという大きな決心をしたのです。

 主イエスと共に歩むということを、「キリストを着なさい」と新約聖書では教えています。もしキリスト以外のものを身にまとっている時、私たちはそれを脱ぐ必要があります。何かを身にまといながら、その上からキリストを着るのではありません。それだともこもこして不自由な歩みとなってしまいます。もし主イエスとの関係を遠ざけているものがあれば、私たちは今朝、それを脱ぎ捨てる決心とその力を聖霊によって与えていただこうではありませんか。



ヨシュア6:20

 バルテマイの出来事は、エリコという街のすぐそばの道路でのことでした。エリコと言えば、かつて難攻不落と言われた大きな城壁があった街です。その城壁の外、まさにバルテマイがいたところで、かつてヨシュアとイスラエルの民は、角笛を吹き鳴らし、大きくときの声を上げた時、その城壁は陥落していったのをイスラエルの民は目の当たりにしました。
 
 私たちも信仰を持って主の名を呼び続ける時、難攻不落のような壁が崩されていく、そういう主の栄光をご一緒に見させていただこうではありませんか。今週も祈り続け、主の名を呼び続けて、主に近づき続けて参りましょう!



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