FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

罪人のかしら① 【No.137】

正直なところ、私の中で実感でき得ない聖書の言葉がります。
それはⅠテモテ1章15節です。

  「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』
   という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである」

もちろん、このことは、心からアーメンです。
クリスチャンですから当然だと言っても良いでしょう。
実感できない得ないと感じるのは、続く言葉なのです。

  「わたしは、その罪人のかしらなのである」

パウロは決して、迫害をしていたかつての悪い自分を思い起こして、
「わたしは、その罪人のかしらだった」と過去形で言ったのではなく、
罪が赦されている現在の自分を指して
「わたしこそ、その罪人のかしらなのです!」と現在形で言っています。

私は、自分が罪人であるということは、誰に指摘されなくても、
自分自身を見つめれば、嫌というほどうなずける事実です。
(誰かに指摘されると、ちょっと嫌なのですが・笑)

しかし、私は自分のことを「罪人のかしらと思っているか?」
と問いかけられるなら、素直にうなずけないのです・・・。

自分のことを、「king of 罪人」と思っているだろうか?
世界で一番、他の誰よりも罪深い男と思っているだろうか?

残念ながら、実感としては「NO」なのです・・・。残念です。

極悪非道人を見るまでもなく、
筋が通っていない人を見ると、腹立たしくなります。
ねたみややっかみの感情を隠して、正論をぶつ人に対して、
嫌悪感のような思いや失望感でいっぱいになります。
人の嫌なところを見たり、失言や暴言を聞くと、
「自分はそんなことをしない」というように、その人を裁いています。

「自分はあの人よりはまし」と露骨に言葉に出したり、
直接的にそこまでは思っていないとは思うのですが、
心の中を突きつめていくと、
「あの人よりはまし」と表現しても良いような気持があると思うのです・・・。

いのり

でも、この夏、ある方と話しをしていて分かったのです!
その方との中心的な話題ではなかったのですが、
小さな光が照らされたように、今の自分が実感できるように分かったのです。

「私こそ、罪人のかしらなのです」と心の底から言い得ない自分、
そんな私こそが、確かに罪人のかしらなのだ、ということが分かったのです。

(ちょっとややこしい表現ですが、分かりますか???)

パウロのように、他の誰かと比べてではなく、
心底、自分は世界一の罪人だとは言い得ない自分、
心のどこかで誰かの罪を責め、自分をまだましだと思っている自分、
そんな私こそ、確かに罪人のかしらなんだ、そういう意味で実感したのです。

そしてそう実感した時、
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」 という言葉が、
自分自身の中に深く深く迫ってきたのでした。

(「罪人のかしら②」に続く)


日記 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<罪人のかしら② 【No.138】 | ホーム | My tribute & My way 【No.136】>>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |