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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

千円多かったら

3月23日主日礼拝、メッセージ断片集です。
十戒の第8番目の言葉を分かち合いました。

 先週「目が開かれて」という主題で御言葉を分かち合いました。信仰を持って見つめることで、見えてきたことがあったでしょうか? ある人は言いました。

「どんな人でも、リンゴの中にある種を数えることはできる。
 しかし、種の中にあるリンゴの数を数えることができるのは神様だけだ」

 リンゴを切って、その中にある種を一つ二つと私たちは数えます。誰にでもできます。しかし、その種の中にあるリンゴを数えることはできるのは神様だけ、あるいは神様を信じる者、信仰の眼差しによる以外にないのでしょう。

 私の目にもまだ種つぶのようにしか見えないことがあります。何だ、こんな小さな種か、こんなちっぽけなものか、そう思います。しかしその種には可能性がある、そこに神様が計画していることがある。今は見えないけれども、必ず神様は見させて下さる。種に命を与えて下さる神様、成長させて下さる神様がいます。今からからご一緒に分かち合う御言葉が、私たちの人生に豊かな実となって結ばれるように、信仰をもって神様の御声を聞いて参りましょう。



種の中にあるリンゴ

 けっこう私たちは、自分中心という損得勘定に支配されているところがあります。今は銀行振り込みですが、昔は給与袋と言いました。もしあなたの給与(バイト)振り込みが、実際の明細よりも1万円少なかったらどうしますか?恐らく100人が100人、「少ないんですが。計算、間違っていませんか?」と言うでしょう。当然です。労働者の権利です。

 しかし、もし明細よりも1万円多く入っていたらどうするでしょうか? わざわざ申告するでしょうか? レストランで食事をした後、駐車場で釣り銭が1000円多いことに気づいたらレシートを持ってレジに向かうでしょうか? 「1000円ぐらいだし、面倒くさいし、相手のミスだから」と言ってそのままにするでしょうか? しかし、もし1000円少なく釣り銭をもらっていたことに気づいたら、「1000円ぐらいだし、面倒くさいし、相手のミスだから」と言ってそのままにするでしょうか? 損得勘定が私たちの行動原理になってはいないでしょうか?

 

 自分自身を省みながら、人や会社や社会から何かを盗んでいないでしょうか? 小さな不正はないでしょうか? また主のものを盗んでいないでしょうか?
 
 盗むことや誤魔化すことによって、何かを得た、得をしたと思っているようで、実際のところ私たちの命は、生き生きとしたものを失っていくのです。なぜなら私たちの命・魂は、真実な神、愛の神、義の神によって造られたので、不正や不義、偽りを重ねて歩んでいくと、私たちの命はカサカサに渇いていくのです。「正直者は馬鹿をみる」と社会では言うかもしれません。しかし主の前に誠実に、正直に生きている者を、主は必ず祝福して下さらないはずはありません。



20140323

「盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい」エペソ4章28節

 皆さんは、何のために働いていますか? 普通は、生きていくため、自分の生活のためと答えるでしょう。当然です。また人間は社会的な存在なので、社会的な役割としての労働、義務としての労働という側面もあります。

 もちろんそれらを否定はしませんが、今日の聖書の言葉は別のことを教えていることにも目を向けたいのです。何のために汗水たらして骨折り働くのか、それは自分が満たされるために働くのではありません。困っている人に施しをするため、分け与えるために働く、そういう世界に私たちは招かれているのです。自分が得たものをただ自分のものとするのではなく、必要としている方がいれば分かち合う、そういう歩みを教えています。そのために、私たちの人生を用いたいと主は願っているのです。

 就職のことで祈っている方、経済的なことで祈っている方、エペソ4:28を主からいただいたのですから、今日から祈りを変えていただきたいのです。今までは、「自分の生活が満たされるために、主よ、私の経済を祝福して下さい。良き職を与えて下さい」と祈っていたかもしれません。しかしこれからは、「主よ、私が働いて得たもので、困っている誰かを助けることができるように。主よ、あなたの働きのために、私の持っているものが用いられるように、そのために私の経済を満たして下さい、祝福して下さい」とエペソ4:28を握りながら大胆に祈り求めて下さい。このような御心にかなう祈りを、どうして主は祝福を持って応えて下さらないことがあるでしょうか!



 5つのパンと2匹の魚の出来事は、算数ではありません。分ければ分けるほどに、増えていく、パン屑が12のカゴにいっぱいになるという主の豊かな御業です。

 私たちの捧げるもの、分かち合うものさえも、主が私たちに与えて下さっているはずです。それらを感謝して、主に捧げ、隣人に分かち合っていく時、自分が与えていると思っていたのに、実のところ自分自身こそが多くのものを得ている、受けている、そういう恵みの広さ深さを体験することができるのです。そんなキリストが開いて下さった真に豊かな道を、私たちも聖霊に励まされて歩んでいこうではありませんか。


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