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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

私だったら

4月6日の礼拝メッセージの断片集です。
断片集なのに、大きな段落で長い文章になっていますが、ご了承ください。

 もし皆さんが、この2人の弟子たちに語られたような言葉をイエス様に言われたら、どうするでしょうか?例えば、「上湧別町に行きなさい。その町に入ると、小さな子牛がつながれている。それをほどいて連れて来なさい。その家の人が『何やってんの?』と尋ねたら、『主がお入り用です。またここに返します』と言いなさい」と言われたらどうしますか?

 私だったらどうするか? これは聖書を読む時の1つのポイントです。もし私だったら、イエス様の言葉ですからもちろん無視はしません。しかし向こう町へ行く前に、まずイオンに寄るでしょう。そしてそれなりのお土産を買っていきます。そして「申し訳ないけれど、この子牛を貸してくれませんか? 後で返しますから。これはつまらないものですが・・・」とお土産を差し出しながらお願いするでしょうね~。私の場合。

 しかし主は、きっとそれを喜ばないだろうなぁと思う。イエス様の言葉だけでは足りないかのように、自分の常識だけを働かせて、イエス様の言葉に100%従おうとしない、そういう私の姿勢にイエス様は喜ばないでしょうね。

 2人の弟子たちは、イエス様の言われる通りにしました。これが王なるイエス様に従うということです。そして主の言葉の通り従うと、「あー、主がきちんと備えて下さった」と体験するのです。王なる主の言葉に何も足さない、何も引かないで、その通りに従っていく時、私たちは主の力、主が王であることを体験していくのです。



20140406

 ウェストミンスター信仰告白の第1問に、「人の主な目的は何ですか」と記されています。そしてその答えは、「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです 」という有名な言葉が続いています。

 神の栄光をあらわすとは、神の素晴らしさを表すことです。神の愛、神の御業、神のあわれみ、そういうことを私たちの生涯を通して表すことができる、それが私たちの人生の目的なのです。

 また永遠に神を喜ぶこと。このこともとても大切なことです。私たちの今年の標語「神を愛する」にも通じることです。私たちはあれが問題、これが問題と思い悩みます。しかし多くの場合、問題設定自体が間違っていることが多いものです。私たちの思う問題が真の問題ではなく、本当の問題はその中で私たちが神を愛しているか、神を喜んでいるか、一時ではなく永遠に喜んでいるか、それこそ私たちが問うべきことなのです。

 そして神の栄光を現す人生を邪魔するもの、神を永遠に喜ぶこと、愛することを妨げているもの、それが罪だと言っても良いでしょう。そういう罪につながれている私たちをほどくために、解放するために、主イエスは王として来られたのです。




(礼拝の中で賛美した「私たちはろばの子」)

 これから共に、聖餐の恵みに与ります。昨日の聖書日課「1日1章」で、マタイ福音書3章を読みました。主イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた場面です。私は今まで十数人の方々に洗礼を授けてきましたが、私がヨハネだったら主イエスに洗礼を授けることができたかどうかと思いました。戸惑うヨハネに「これは正しいことであり、わたしたちにふさわしいことだ」と言われました。

 主イエスは、罪の無いお方であるにも関わらず、多くの罪人の列に並ばれて洗礼を受けられたのです。VIPとして特別な入り口を設けられたわけではありません。本来は洗礼を受ける必要の無い罪の無い王なるお方が、罪人の列に並ばれているのです。

 その主イエスの前に、私たちの小さな正義感はひるみます。「あの人が悪い」とか、「あーだ」とか、「こーだ」とか批判をしている、そんな私たちの正義感は、本当の正義ではありません。罪人の列に並ばれて、ヨハネから洗礼を受けられることを「これは正しいことだ」と言われる主イエスの真の正しさの前には、人間の自分をかばう正義感などもみ殻のように飛んでいきます。私たちが洗礼を受けたということ、それはこの主イエスの後ろに並んで、主イエスと一緒に洗礼を受けたと言っても過言ではないでしょう。

 私たちはその主イエスを自分の人生の中で、生活の中で見失ってしまわないように、今から共に聖餐の恵みに与るのです。復活につながる十字架の道をどこまでも歩まれた、王なる主イエスの御足の跡に従っていくということです。その時、自分の正義にこだわり心を固くしてしまうことからほどかれ、柔和な王である主イエスの御姿を内に宿すことができるのです。


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