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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

おはよう

4月20日のメッセージ断片集です。
イースター礼拝でした♪

 人の力と人の知恵の行き詰まったところでこそ、全能の神、主の力は思いもかけない仕方で発揮されるのです。いかんともし難い現実の中で、神の力はいかんなく発揮されていきます。



 聖書の中で最も大切な戒めは、「神を愛すること」と「隣人を愛すること」です。それでは、最も多くある命令はなんだと思いますか?・・・「悔い改めなさい」、「高ぶるな」、「不品行を避けなさい」などなど、いろいろ想像することができます。実は、旧約聖書から新約聖書に至るまで、繰り返し繰り返し、再三再四に渡って出てくる主の命令、最も多い命令は、「恐れるな」だと言われています。

 「恐れるな」とは、「信じなさい」ということにつながっています。(ちなみに「神を畏れよ」という命令もたくさんあります。主を畏れるとは、主以外のものを恐れない歩みとなっていきます。すなわち私たちの心が「恐れ」や不安、思い煩いに支配される時、そこに全知全能の主を畏れる思いが小さくなっているとも言えるでしょう)

 私が数えたわけではありません。ロイド・オジルビーという人が数えたようなのですが、聖書には366箇所、「恐れるな」と記されているようです。1年365日だけではなく、うるう年の分まで含まれているそうです!つまり、私たちは毎日毎日、恐れや不安に苛(さいな)まれないように、「恐れるな」という復活の主の御声を聞き続ける必要があります。



20140420

 マタイ28章によると、復活の主イエスの第一声は、「おはよう」という挨拶の言葉だったと記しています(口語訳聖書では「平安あれ」)。この「おはよう」という挨拶の言葉は、元々「喜びなさい」という意味をもっているそうです。ある英語の聖書では、「rejoice」と訳されています。「喜んでよいのだ」、と復活の主イエスは語りかけています。

 私たちは「喜べ」と言われても、そんな単純に喜べないものです。喜ぶどころか、心沈んでしまうことの多い私たちの日常です。しかし私たちの日常の生活で、どんなに悲しみや不安があったとしても、朝ごとに復活の主イエスが「おはよう」と言って下さる、「喜びがあるように」と言われるのです。その復活の主イエスの御声を信仰によって聞く時に、死から甦った復活の主イエスが共にいるから大丈夫だと、悲しみにたたずみ続けない喜びの力が与えられるのです。

 「おはよう」、これが復活後の第一声でした。復活の主イエスの言葉は、難しいものでも修業した人や悟りのある人しか分からないものでもなく、何か特殊な神秘的な言葉でもなく、非常に素朴な、ある意味で生活の匂いのする挨拶の言葉でした。私たちのような普通の者が、身近な出来事の中で泣いたり笑ったりしているその日常の中で、復活主イエスが喜びの道を開いて下さるのです。人と人とが挨拶するように、私たちは毎朝、聖書を開く時に、主に祈る時に、復活の主イエスが「おはよう」と言われるその挨拶の言葉を、信仰をもって人格的に聴き続けていこうではありませんか。



 この「知らせる」、「伝える」という宣教の部分が弱くなると、クリスチャン生活に喜びがなくなります。信仰がいつも内向き、自分のことばかりになってしまい、神の恵みが流れていかないのです。受けることばかりに意識がいき、自分の内側が淀んでしまうのです。主イエスが甦られたこと、あなたもその復活の主イエスに出会えることを宣べ伝えていく時、実は宣べ伝えている私たちがますます喜びに溢れていくのです。パウロが福音を語れば語るほどに、福音を伝え聞く者と同時に、福音を語る自分自身が福音の恵みに与っていることが、私たちにも起こるのです。


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