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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

愛(かな)しい

礼拝メッセージの断片集です。
マルコの福音書を講解説教しています。

講解説教をすることで「聖書ってホントに深いなぁ」と教えられ、
主の真理に導かれていくことがとっても感謝です。

 ぶどう園の主人は、農夫たちを信じていたからこそ、何度も、何度も、僕(しもべ)たちを農夫たちのもとへ送り続けるのです。このぶどう園の主人とは、もちろん父なる神のことです。

 信仰とは、人間である私たちが持つものだと思いがちです。人が神を信じることが、信仰を持つということであって、聖書には何度も「信じなさい」と記されています。しかし実は、まず父なる神が私たちを信じて下さっているという事実が先にあるのです。愛するよりも先に主が私たちを愛されたように、私たちが主なる神を信じるよりも先に、主が私たちを信じて下さっているのです。どこまでも、何があっても、主はあなたを信じています。主はあなたを諦めません。何度でも、何度でも「私に帰れ」と主は私たちを招かれます。主が私たちを信じて下さっているからこそ、私たちは主なる神を信じることができるのです。



 渡辺和子シスターは、こんなことを話されています。「どれほど愛し合っていても、相手を100%信じては駄目。98%にしておきなさい。残りの2%は、相手を赦すために取っておくの」と。これは決して頭から疑ってかかるということではなくて、裏切られた時に相手を赦せなくならないように、心を閉ざしてしまわないように、相手も自分も不完全だと認めながら、赦すということも含んでいるのが本当の信頼関係だと教えているのでしょう。



 普通、大きな裏切りを経験したら、人を信頼することができなくなるものです。当然のことです。裏切りとは、人間関係を痛め、傷つけ、破壊します。そういう大きな裏切りを経験したら、もう傷つきたくないから、誰も信頼できなくなっていくものです。

 しかし今朝、改めて知って欲しいのです。実は、私たちの方が何度も父なる神を裏切っているということを。どれほど神の言葉を無視し、神の思いに逆らった生き方をしているでしょうか。そういう自分のことを棚に上げながら、誰も信用できない、そうやって人は心を閉ざしてしまうものです。しかしそれでも、そんな私たちでも、主は私たちを信じて下さっている、信頼して下さっているのです。自分を諦めない、こんな自分を信じ続けて下さる父なる神がいる、私たちがそこに立ち続けていく時、たとえ裏切られてもなおも信じ続ける、信頼していく心が与えられていくのです。



20140511

 自分の人生を自分のものとして生きていくと、このたとえ話の引用元であるイザヤ書5章のように、たとえ実を結んでも酸っぱい実しかならないのです。造り主である主を無視して、自分のためだけに生きていく時、酸っぱい実、渋い実がなるような、感謝のない、歪んだ心となってしまうのです。

 農夫たちは、ぶどう園を主人から借りていました。農夫たちは、労働者であり、管理者でもありましたが、ぶどう園の持ち主はその主人でした。同じように、本来、私たちは神のものです。「主よ、私はあなたのもの」とキリスト者は告白します。そして主も「あなたは私のもの」だと言って下さいます。この命、そして人生は、自分のものではありません。自分のためのものではなく、主のものなのです。だからこそ、1日1日を大切に、そして丁寧に生きていく必要があるのです。その時、主なる神を共に収穫を喜んでいく、生きていくことを感謝していく、そういう甘い実を結んでいくことができるのです。



 日本語で「愛」と書いて「愛(かな)しい」とも読みます。主は私たちを愛しているからこそ、悲しいのです。どうでもよいと思っているのではないから、悲しいのです。神の悲しみを知っていますか? 自分が傷つけられると、やっきになって騒ぎ立てます。世界一の被害者のようになってしまいます。しかし自分自身がどんなに神の心を深く傷つけ悲しませているのか、そこは鈍感なのです。本当に神の悲しみを知った者は、自分の悲しみに閉じこもってしまうことなく、神を愛さずにはおれなくなります。


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