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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

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5月18日の礼拝メッセージの断片集です。
まとめでもなく、要約でもなく、断片集というのは、何とも私らしい(笑)

 皆さんは、漫画を読まれますか? もともと漫画とは、新聞の風刺漫画から印刷が始まったのだと思います。西欧人って風刺が好きですよね。このイラスト(CG)は、何を意味しているか分かりますか? 実は今日の聖書に出て来る言葉を背景にしています。皇帝への税金についての論争の中で、 「カイザルのものはカイザルに」と主イエスが言われた言葉を背景に、米国大統領が税金を上げる時に、風刺したものでしょう。聖書を知らない日本人には「大統領は何の仮装を?」という感じかも知れませんね。



カイザル

 普段は犬猿の仲のパリサイ人とヘロデ党の人々が、主イエスを陥れようとやってきました。本来は一緒にいることはない両者が、「イヒヒヒヒ」(笑)といような下心を持って一致しています。心をしっかりと合わせています。アダムとエバから始まって、バベルの塔、モーセに対するイスラエルの民、ヘロデとピラト、アナニヤとサッピラなどなど、人は神とは反対の思いで一致し、誤魔化すことで心を合わせ、聖霊を欺くことで夫婦が一致し、悪の心で一致することが、聖書にたくさん出てきます。しかし大切なことは、神の思いで一致することなのです。



 主イエスは「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」と言われました。1デナリ銀貨に皇帝の肖像(image)が刻まれ、皇帝の言葉が銘記されていて、そのデナリ銀貨は皇帝のものだと主イエスは言われました。翻って、私たちは神によって造られ、神の姿(image)が刻まれ、神の言葉が彫り込まれているのです。神の言葉を聞き、神の言葉によって、神に似た者として造られたのです。

 しかし悲しいかな罪が邪魔をして、神の形(image)、本性、特質をゆがませるのです。神の聖さ、愛、喜び、平安・・・、そういうものを罪がねじるのです。例えば、私たちは神によって造られたから良心があります。しかし人の良心は、ねじれています。私たちが良いと思ってやったことも、相手にとって良くなかったり、良いと思ってしたことが却って混乱を招き、傷つけ合い、善意で始めたことなのに争い合うことさえあります。それは、神の形(image)がねじれているからです。人間の愛は裏返ります。あんなに愛していたのに、果ては憎しみ合うことがあります。罪のゆえにねじれてしまうのです。喜び笑うことは人間だけに与えられた大きな特権ですから、私たちはもっと喜んで笑って良いのです。しかし時には人の失敗を喜んでしまったり、皮肉や悪口を言ってせせら笑うようなこともあります。喜ぶ者と共に喜べば良いのに、人の成功を素直に喜べなくてねたんでしまうのです。神の形(image)がゆがんでいるのです。

 人は神の言葉によって神の形(image)に似せて造られ、そして神の息を吹きかけられて生きる者となりました。つまり神の言葉を聞き続けることで、また祈って聖霊による深呼吸をすることで、私たちは神の形(image)を取り戻すことができるのです。栄光から栄光へと主と同じ姿に御霊によって変えていただけるのです。それが神のものとして生きるということなのです。



20140518
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 パリサイ人たちの話している言葉は正しいのですが、心からの言葉ではありません。主イエスは彼らの偽装、下心、偽善をしっかりと見抜いておられます。神の言葉を無視し、聖霊によって深呼吸する祈りを忘れてしまうと、神の形(image)がますますねじれて壊され、心と言葉と行いがバラバラになってしまいます。耳が痛いのですが、言行不一致、有言不実行、口だけの決心、続かない行動、世の光・地の塩としての姿が3日坊主、あるいはウルトラマンのように3分間しか持たないクリスチャン像となってしまいます。

Ⅱ歴代誌16:9
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」

 あーだとこーだと言葉で誤魔化さないで、私の心が主の心と1つになろうとすることが大切です。主の心を知るために神の言葉を読み、主と深く交わって祈り続ける時、私たちは主の力をいただくことができます。主と心を合わせる人に、主の心に合わせようとする人に、主は力を現してくださり、私たちの行動となっていきます。1デナリは1日分の労働賃金と言われています。つまり1日1日、今日も主の心で歩ませて下さいと神の言葉に親しみ、主と交わって祈り続ける時、心と言葉と行動が1つになる、そういう神のものとしての歩みを聖霊によってさせていただけるのです!



 1デナリ銀貨には皇帝の肖像が彫られ、皇帝の銘として「ローマ皇帝は神の子である」と刻まれていたと歴史家は教えてくれます。本当の神の御子である私たちの主は、十字架の上に罪状書きとして「ユダヤ人の王」と記されました。皇帝という絶対的な権力や銀貨という財力ではなく、神の御子であり王の王である主イエスの十字架によってこそ、ゆがんでねじれた私たちの罪の心がまっすぐにされていくのです。この十字架の主イエスを仰ぎ続けることで、私たちは父なる神に造られた者として、主と同じ姿に変えられ続けていくのです。 この十字架の言葉は信じる者には力となって、心と言葉と行動が1つになり、世の光、地の塩として歩んでいけるのです。十字架の言葉は、救いを受ける私たちには神の力となるのです。



礼拝での祈り

この日の礼拝では、月に1度の海外宣教師のための祈り、
そしてこの日の午後に献堂式を開かれる札幌の教会の祝福と、
6月に開かれる「世の光ラリーinオホーツク」のために祈りました。

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