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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

同じ釜の飯

「同じ釜の飯を食う」仲間と言います。
一つの釜で炊いたごはんを、 分け合って食べる期間を持ち、
いろいろな苦労などを共にした場合の 親しい仲間を指します。

先々週の浜名湖の祈祷聖会は、基本4食の断食祈祷なのですが、
「同じ釜の飯を食わない」時を過ごし、最終日におかゆをいただくので、
最終的には「同じ釜の飯を食う」間柄となります。

「同じ釜の飯を食わない」時を過ごし、共に神の前に祈るって、
言葉に出来ない何か少しの特別なものを感じます。

全国聖会などで、浜名湖の祈祷聖会で会った兄姉と出会うと、
「あー〇〇さん、うん、うん」とうなずきたくなるものがります。

美味しい、特別な料理を食べた思いでも確かに良いものです。
しかし同時に、「同じ釜の飯を食わない」で心を注いで主に祈ったことも、
そこで聞いた主の御声、そこで触れた主の恵みも、
確かに忘れることができないものです。

第10回に向けて

私の妻は今回、東北地方におられたある方のために祈っていました。
しばらく祈り続けるその中で、様々な思いが湧いてきたそうです。

10年間、祈りつつ一生懸命に種を蒔いてきたことが、
全てが流されるように、また雲散霧消していくような出来事。
どんなに辛く、どんなにやりきれなかったことか。

しかしそれでも、祈ってきたこと、蒔いてきたことは、
決して無駄になってしまったのではないということ。

散らされてしまった種の実は、今は目に見えなかったとしても、
天国で知らされる大きな事実があること、
全ては全能の神の御手にあるということ、
そんな思いが湧いてきて涙が溢れてきたようです。

U先生がメッセージの中で、祈りにはバランスが必要だと語られました。
1人で祈ることができるか、1人の祈りも大いに大切だということ。
しかし祈りが独善的にならないように、みんなで共に祈ること、
そして祈り合うことも祈りの豊かさとして大切だと語られました。

「同じ釜の飯を食わない」で、共に祈り合える豊かさが確かにありました。

さあ、明日は主日礼拝です。
明日はもちろん断食ではなく、主の聖餐を共に食し、
主を真ん中にした愛餐(昼食)の時もあります♪

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