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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

宝物

2014年後半最初の日曜日、礼拝メッセージの断片集です。

 先週のニュースで、世界で最も影響力のある米の旅行雑誌が発表した読者投票による2014年の人気観光都市ランキングで、京都が初めて1位になったと報道されていました。残念ながら北見ではありませんでしたが(笑)、それでも日本のことを好んで来て下さるって嬉しいものですね。

 またフランスで、「ジャパンエキスポ」が開かれたという報道もありました。5日間で26万人の来場者を見込んでいるようで、多くの方々が日本の文化に触れて、茶道や弓道にチャレンジしたり、忍者やアニメなどのキャラクターの格好をされています。たくさんの「ゆるキャラ」も登場していました。どうしてフランス人の彼らが、わざわざこういう格好をするのでしょうか?・・・・・それは、好きだからでしょうね。好きだから、真似をするのでしょう。人は憧れているもの、愛しているものに近づきたい、似るものとなりたい、そういう思いがあります。

 私たちが主なる神を愛していくということは、主に似た者となっていくということです。主イエスが愛したように、同じ愛を持って生きていきたいのです。愛する主がどんな中でも真実に生きられたように、私たちも真実に生きたいと思うのです。それが主を愛しているということです。

 そして主なる神も私たちを愛しているから、だからこそ私たちと同じ姿となって、この世に来られたのです。宇宙の果てのどこか遠くにいるのではなく、私たちを愛しているからこそ、私たちに近づかれ、人の子として生まれて来て下さったのです。私たちが大切だから、私たちを愛しているから、父なる神の愛を示すために、主イエスは十字架の道を歩んで下さったのです。



 申命記の7章で、主はイスラエルのことを聖なる民、宝の民だと述べられています。宝の民とはどういうことでしょうか。それは、「あなたはわたしの宝物だ!」と主が言われているということです。「あなたは私の宝物だ」って誰かに言われたことありますか?私はありませんよ、家内からも(笑) しかし主は今朝もあなたに言われるのです、「あなたはわたしの宝だ」と。



20160706

 主イエスと律法学者の間に響き合うような会話がありますね。「先生、そのとおりです。・・・まさにそのとおりです」と、心の通い合いがあります。主の言葉に主の愛を感じ取り、主の言葉を愛をもって聞いている律法学者。ここに主との愛の交わり、主イエスとの間にハーモニーが、響き合いが生まれています。神の言葉を聞く、聖書を読むとは、単に1章読んだとか通読をしたとかそういうことではなく、この律法学者と主イエスの会話のような、人格的な交わりが生まれてくることなのです。「主よ、本当にそうですね」、「主よ、アーメンです」と、そういう主との人格的な交わりを通して、私たちの中に神の愛が形作られていくのです。



 私たちは今、何に不安を感じているのでしょうか? 何を思い煩っていますか? 何が問題だ思っているでしょうか? もちろんいろいろあるでしょう。しかしまず私たちが問うべきこと、一番大切なこと、問題設定とすべきこと、それはどんな状況の中でも、主が私たちを愛して下さったように、全力で神を愛すること、主が私たちを愛して下さったように、隣人を愛すること、そこが一番大切なことなのです。それが問題の核心です。

 「いや、いや、主よ、問題は、愛しているかどうかということではありません。それ以上にこの今の状況を何とかしていただきたいのです」と訴えるかもしれません。しかし主はペテロに問われたように「あなたはわたしを愛するか?」と尋ねるでしょう。私たちは「主よ、それはもうご存知でしょう。それよりも、この人のこのこと、あのこと、大変なのです」と私たちはさらに訴えるでしょう。しかし主はさらに「あなたはわたしを愛するか」と何度も、そして今日も私たちに問われるのです。なぜなら、本当の問題はそこにあるからです。問題設定は、私がどんな状況でも全力で主を愛しているか、隣人を愛しているか、それが私たちの問題であり、目指すべき方向であり、全ての本質なのです。



 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、主なる神を愛すること」、そして「隣人を愛すること」、この2つの愛からずれていく時、それこそ私たちの心と思いと知性と力が、バラバラになっていきます。頭で考えていることと、心で思うことが、分裂していきます。口では立派なことを言っているのに、行動は全く逆の状態となります。昨日言っていたことと、今日話していること、明日感じていることが、バラバラとなって混乱していきます。それは目的、方向性がずれているからです。全身全霊全力で主なる神を愛すること、隣人を愛して生きていくこと、ここからずれて私たちが生きていく時、私たちの人格、人生は、統一性をなくしていきます。



 ご一緒に聖餐の恵みに与りましょう。主なる神は、私たちを神の形に似せて造られました。それは、心から神を愛する存在として造られたということを意味しています。そして当然のように隣人を愛していく、そういう神の御姿に似せて造られたのです。神は愛だからです。

 しかしどうして自分自身の中の愛が貧しいくて、小さいのでしょうか。それは私たちの罪のゆえです。神の愛が感じられなくなっている状態を罪の状態と呼べるでしょう。愛に生きることよりも、自分の思いや願いを通して生きていきたいと主張している、それが罪の状態です。主イエスは、神の愛を示し、愛に生きる道を開いて下さった、それが主イエス十字架です。2014年の後半、私たちがこの愛に満たされ、生かされ、全身全霊全力で主を愛し、隣人を愛していくその愛を、ご一緒に聖餐の恵みを通して受け取ろうではありませんか。



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