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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

あまりの関係ではなく

今週の礼拝メッセージの断片集です。
この日は、久し振りに礼拝に来られた方もいて感謝です。

私たちの教会は、祈りと御言葉に生きる教会、
すなわち礼拝を大切にし、主を証ししていくことを大切にしていきます。

 人は、神の眼差しの中に生きていくように造られました。それが本来あるべき姿です。神の愛の眼差しが今日も私に注がれている、そのことを感謝して、神を愛し、隣人を愛していきます。救われているとは、その神の愛の眼差しの中に生きているということで、だからこそ神を愛し、隣人を愛する方向に向かっていきます。そう、救われているとは、神の愛の眼差しの中に生き、愛に生きるということです。



 神の眼差しからずれていると、人の目を気にするようになります。そして人と自分を比較します。比較から生まれるものは、優越感か劣等感です。真逆のように見えますが、これは両方の極端で、どちらも神の愛の眼差しからずれているという点で同じ根なのです。



 律法学者たちは知識を誇り、自分を認めてもらおうとします。しかし「知識は人を高ぶらせ、愛は人を高める(建て上げる)」と聖書にあるように、大切なのは愛です。例えば、健康のためにあれがいい、これがいい、そういう知識を人に押しつけるよりも、「私はあなたが心配だ」、「疲れているね」、「しんどいの?」、「祈っているよ」、「私に何ができる?」、そうやって自分のことを気にかけている言葉やその土台に愛が伝わる時、「よし元気になろう!」と立ち上がっていく力が湧いてくるものです。



20140713

 イエスを救い主と信じて歩んでいく時、よく見られたい、よく見せたいという歩みではなく、よくなりたい、愛に生きたいと心の底から思うようになります。自分を誇るのではなく、自分見捨てす諦めない主イエスを誇ります。



 生活のゆとりある時間で聖書を読む、あまった時間を奉仕にあてる、忙しいから、もう少し時間が出来たら祈ろう、自分のことが片付いてから伝道しよう…。生活のあまりを主に捧げていくということであれば、それでは主なる神との関係は真実なものではなく、希薄なものとなります。それは、あまりの関係、おまけの関係です。それでは、あまりにも寂しいじゃあいrませんか。



 レプタ2枚を捧げたこの女性のように、私たちの毎日毎日を主イエスに「アーメン」と言って頂ける、そういう歩みを聖霊によってさせて頂きたいのです。



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