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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

最後まで

日曜日の礼拝メッセージの断片集です。
この日は、午前の礼拝に集えない方が久し振りに来られたので、
朝早くの早朝礼拝、Ⅰ礼拝、夜のⅡ礼拝と三回の礼拝を捧げました。

 「この大きな建物を見ているのですか?」という主イエスの質問は、大切な問いかけです。つまり私たちは何を見つめているのかという問いかけなのです。「人の手で造られた神殿を見つめているのか? それらはやがて崩れ去るものだ。大切なことは神殿の中で崇められる神を見つめることではないか?」問いかけです。宮清めをされたばかりの主イエスが大切にされたもの、それは信仰の祈りが教会にあるかどうかということでした。どんな立派な建物かということではなく、教会に失望や絶望に負けない賛美があるかが大切です。教会に何人集っているかということが問われるのではなく、そこに愛し合う愛があるかどうかが見つめるべきところなのです。目に見えるものに惑わされないで、いつまでも残る大切なものを見つめていますかという主イエスの問いかけが、今朝、私たちにもなされています。



 人々の言葉に惑わされないように気をつけないさいと主イエスは言われます。
 例えば、「毎週のように教会に行っても、何ら良いことはないでしょう。1年に1度の初詣程度でいいんじゃないですか。むしろ一緒に遊んで、楽しもう、それが人生じゃないですか」という声。

 「祈祷会に行ったってあなたの願いを神様は聞いているかどうか分からないよ。むしろ旅行に行こう。マイナスイオンが溢れるような、パワースポット巡りをした方が、どんな気持ち良いか」という声。

 「北海道聖会に行って、長い時間賛美を歌い、祈っても疲れるだけでしょう。それだったら札幌ドームに行ってコンサートを楽しんだり、イベントに行く方が楽しいでしょう」という声。

 「キリストの教会の交わり、分かち合い、ちょっと面倒くさいでしょう。同じ顔の牧師のメッセージを毎週聞いているよりも、インターネットで世界中の有名メッセンジャーのメッセージを聞いている方が、どんなに恵まれるでしょうか。気の合わない方々と交わるよりも、インターネットで『いいね』と言い合って、不特定多数の方々とコメントを交わし合う方が気楽だし、繋がった感もあるし、嫌なことを言われたらブロックしたり、関係を切れば良いだけの話し。そっちの方が楽だし面倒くさくないでしょう」という声などです。

 私たちはそういう人々の声、この世の情報、あるいは自分自身の内側の声に惑わされていないでしょうか。それらの言葉に、真実な信仰があるでしょうか? 聖書はそのように教えているでしょうか。そこに主イエスの十字架の愛があるでしょうか。


20140720

 聖書は、主イエスを信じたら、苦しみのない平穏無事の人生を送れるとは約束していません。残念ながら・・・。私は洗礼講座で、主イエスを信じて洗礼を受けたら、あなたの願いがかなう人生になるとは言っていません。マルコ13章では、主イエスを信じていても、信じていなくても、戦争に巻き込まれることもあること、地震やききんという苦しみを通ることもあるということ、裏切られ、憎まれることもあると主イエスは語られています。

 では、主イエスを信じている大きな恵みは何でしょうか。それは、苦しみが苦しみのままで終わらない この苦しみの中でも主が働いて下さっていることを信仰によって知っていることです。そして必ず主の栄光が現れる、主の勝利が現れていく、そう信じて忍耐する力与えられることです。主イエスを信じていても信じていなくても、否応なしに苦しみに遭うものです。しかし苦しみを耐える力、乗り越える力を主イエスが与えて下さる、それが信仰の力、信仰の恵みなのです。



 「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」という言葉は、最近、人気がない言葉かもしれません。「我慢しなくてもいいよ。ありのままの、そのままのあなたでいい。無理しなくてもいい」、そういう言葉が教会の外でも中でも語られているかもしれません。しかし主イエスは、私たちに「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と今朝、私たちに語られ励ますのです。これは主イエスだからこそ言える、本物の励ましの言葉です。

 このマルコ福音書が最初に読まれた教会は、ローマ帝国による迫害の激しい最中にありました。大きな会堂を持っているどころか、カタコンベと呼ばれる地下のお墓で礼拝を捧げていました。それでも信仰と希望と愛とに生きる私たちの信仰の先輩者は、この主イエスの言葉に励まされてきたのです。十字架の主が共に耐えてくださり、復活の主が支えて下さるから、私たちは忍耐をもって立ち上がることができる。今がどうであれ、最後まで耐え忍ぶ者は救われる、勝利を得ると、主イエスの励ましの言葉が、その人生に響いていたのです。私たちも同じ信仰を持たせていただきたいのです。



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