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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

夢見ること以上に

7月最後の礼拝でお奨めしたメッセージの断片集です。
この日の午後にチャペルフェスティバルがあるということで、
マルコ福音書の講解説教を離れてのメッセージでした。

 有名なエレミヤ29:11は、多くの方々に愛唱されている聖書の言葉です。ポスターや看板、指輪(英語、ヘブル語)、カード、額、ブレスレットなどなど、様々なグッズにもなっています。すごいですね。ただ11節だけではなく、この言葉が語られている背景、前後関係も私たちはよく知っておく必要があります。



「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。
 ――主の御告げ。――
 それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、
 あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」エレミヤ29:11

エレミヤ29:11

 私たちも、自分が置かれた境遇が嫌になることがあります。ぼやきたくなる、ちゃぶ台をひっくり返したくなる、虚無的になり、逃げ出したくなることもあるでしょう。しかしそこに平安・平和を造り出す主なる神を私たちは信じていきたいのです。



 不幸が不幸ではなく、その不幸の中でそこに慰めを与える主なる神を知らないことが真の不幸なのです。災いが本当の災いではなく、災いから助け出し力を与える主なる神を知らないことが真の災いなのです。暗闇が真の暗闇ではなく、暗闇に光を作り出して下さる神を知らないことこそ暗闇なのです。同じように、平安が、安心がない、希望がない、平和がない、将来が見えない、そういう状態であったとしても、そこに平安を造りだして下さる主イエスを見上げることが大切なのです。
 
閉ざされた部屋の中で不安を抱えていた弟子たちに復活の主イエスが現われたように、私たちが閉塞感を覚える生活のただ中に、釘打たれたその両手を広げながら、「平安があるように」と言われるその声を聞き続けようではありませんか。



20140727

 占いの言葉の中には、望まない境遇でも地に足をつけてしっかりと生きて、そこから人生に大切なことを学んでいくという視点は極めて弱いものです。ラッキーカラー、運勢などなど、いかに楽して、ハッピーに生きていけるか、そういう視点のほうが強いものです。しかしそれでは、苦しいことから何も学ばない、そこに意味がない、それらを避けていく、逃げていく方向性しか出てきません。 

 今日の運勢、明日の運勢なんて関係ありません。まして前世なんてありませんよ。私は私、あなたはあなたです。どこの星がどうだとかこうだとか、気にしないでください。みんな地球で生まれたんじゃないですか。地球以外で生まれた人、いませんよ(笑)

 だいたい、今日は運勢が良いので神様にたっぷり愛されて、明日は運勢が悪いので神様の愛が普段より少ないなんて、主なる神は、そんなふうに毎日の愛にむらがある方ではありません。毎日、大きな愛が注がれています。朝ごとに新しい恵みが確かに注がれています。



 占い師や偽預言者たちは、早くエルサレムに帰ることができると、夢見ることを言いました(29:8)。しかしエレミヤを通しての主の言葉は、戻ることができるのは70年後ということでした。大切なことは、人の言葉や自分の思いを根拠として夢見ることではなく、自分が置かれている環境の中でしっかりと主の言葉を聞き、主を見つめることなのです。今いるところで、夢見ること以上に、主を見つめることが大切なのです。


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