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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

後悔ではなく

全国の小学生や中学生が、夏休みの宿題に追われているであろう
8月最後の日(でも北海道ではもう夏休みは終わっていますね)、
秋晴れのようにすがすがしい天気に恵まれ、礼拝を捧げました。

 「Upper Room」という言葉があります。日本語では「2階座敷」とか、昔の聖書や聖歌などでは「高殿」と呼ばれています。キリスト教会はその伝統の中で、主との交わりの時を持つその場所を、「Upper Room」と呼んできました。それは、復活のイエス様が弟子たちやトマスに現われて「平安あれ」と言われた鍵をかけていたあの部屋、またペンテコステの前の週に10日間の祈りを捧げて聖霊降臨を体験したまさに2階座敷、さらにペテロが捕まった時にマルコの母の家で祈祷会を持った部屋、そして何よりも最後の晩餐、弟子たちの足を洗われる主の晩餐が持たれた部屋こそ2階の広間ででした。今日はその主の晩餐の2階座敷が用意される出来事を、1階の礼拝堂で分かち合います。



 裏切るとは、引き渡すことです。つまり主イエスと距離を取ることです。私たちは主イエスを裏切らないと思っていますが、しかし主イエスと距離を取っていることはないでしょうか? 「あなたは毎日イエスのそばを歩いているか」と賛美しましたように、月曜日から土曜日まで主イエスと親しく歩んでおられるでしょうか?



20140831

 悔い改めることをしないまま歩んでいると、多くの後悔を抱えて生きていくことになります。「~しなかった方が良かった」 、「あの時、こうしておけば良かった」、「どうしてあんなことを言ってしまったのか」という後悔です。罪を悔い改めない人生は、後悔を抱えた生き方になり、そして究極の後悔の言葉である「生まれなかった方が良かった」という人生になってしまうのです。



 「あなたは生まれなかった方が良い」、「あの人がいなければ・・・」、こういう人の存在を否定する言葉を人は言ってはいけません。それは殺人に等しい言葉です。「人の子を裏切る人はわざわいだ。その人は生まれなかった方が良かった」という言葉は、人の言葉ではなく救い主イエスの言葉なのです。

 断罪し、切り捨て、裁きを下す言葉ではありません。救い主イエスと距離を取り続けていく歩みは、罪のわざわざいに生きることになると、罪の悲しみを誰よりも深いところで背負いながら、その言葉に責任をもって語られた主イエスの言葉です。すなわち、わたしがあなたの罪を背負うと十字架に掛かられ、「生まれなかった方が良かった」ではなく、「生まれてきて良かった」と言える命の喜びの回復を与えようとされる主イエスの言葉なのです。

 

 信仰は、救いとは、「赦しによって始まり、赦しの中を歩み、赦しに至る」と言われます。自分の罪を隠さないで、そのままにしないで、誤魔化さないで、日々、主に悔い改めの祈りを捧げていこうではありませんか。罪を認めることは、恥ずかしいことなのですが、それが真の恥ずかしさではありません。罪を認められないことこそ、悔い改めをしないことこそ、本当の意味で恥ずかしいことになってしまうのです。そしてそれは後悔の生き方、ジメジメとしたものが付きまとう歩みとなります。しかし悔い改めは、罪が赦された喜び、その喜びが伴い、命が輝き回復していくのです。





この日の礼拝では、教会学校でよく賛美した「神様がわかるでしょう」を
みんなで一緒に賛美しました♪

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