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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

主イエスのアーメン

今週の礼拝では、先週日曜日のMission Nightの証し、
また敬老者&誕生者祝福祈祷、そして私のためにも祈ってもらいました。

とっても恵まれたMission Nightのことを記事にしたいのですが、
もう忘れた頃、10月になってからの予定となっています。

 「あなたがたはみな、つまずきます」と主イエスは言われました。誰かをつまずかせることは、もちろん大きな罪です。しかしつまずくことも罪なのです。つまずくとは、主イエスについていけないということ、従っていけないということ、そして背を向けることだからです。そして「つまずいた」というそのつまずきに焦点を当て、そこに閉じこもり、救い主無しに生きていけると思い込む要素もあります。

 

 ペテロは「私はつまずきません」、「私は決してあなたを知らないなどとは申しません」と言いました。言っていることは正しいのです。「私はつまずきます。もうついていけません」、「私はあなたを裏切ります」と言っているわけではないのですから。しかしこのペテロの正しさこそが、罪なのです。それは主イエスの言葉を打ち消して、「イエス様、あなたはそう言われますが、私はこう思っています」と言い、主イエスよりも自分の正しさの方が上になってしまい、自己正当化に陥ってしまっています。



20140914

 小さな子どもが大人の礼拝に出た時に、大人に交じって「アーメン」と言うことがありますね。かわいいですよね。時々、メッセージの応答の中で、場違いなところで「あーめん」と言う時なんか、面白いですよね。

 14章30節で、主イエスは「アーメン」と言っています。何に対しての「アーメン」かと言いますと、ペテロが3度主イエスを否定することに対して、「アーメン」と言われるのです。「主よ、あなたに従います」と勇ましい決心をした時に、「アーメン」と主イエスが言われたのならよく分かります。何となく場違いな「アーメン」のようにも思います。

 しかしこの主イエスの「アーメン」は、「赦しのアーメン」なのです。3度も否定するペテロを、主イエスはそれでも否定されないで、諦めないで、あなたのその罪のために十字架に掛かると、全てを受け入れて赦すという「アーメン」なのです。あなたに対する主イエスの「アーメン」を聞いているでしょうか?



 神の愛とは、罪の赦しの中にこそ現われていくのです。



 福音書には、弟子たちの失敗記事が多く載っています。私がペテロだったら、「おいマルコ、この3度も知らないというところは、私の名前を入れないで、『弟子たち』とするか『P』とでもしといてくれないかなぁ。やっぱり恥ずかしいから」と言っているかも知れません。

 しかしペテロは、何度でも何度でも、自分が主を否定したこと、大口を叩いたことを、語ったでしょう。そしてだからこそ、こんな愚かな自分を諦めない、その罪を救う主イエスの愛を、誰よりも深く、大きく、語ったに違いないのです。『罪汚れは、いや増すとも、主の恵みもまた、いや増すなり』の賛美の通りです。



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