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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

キリストの心で

先週は妻が礼拝説教の奉仕をしたので、
私は久々(?)の奉仕で、ちょっと固かったかもしれません。

しかも私の居ない礼拝は、とても恵まれたということでした!
それはもちろん、主が共におられたからでしょう。
夜のⅡ礼拝は慣れたのか、滑らかなようでした(笑)

 体と心はバラバラであってはいけません。体と心は1つです。私たちはキリストの体と聖書は教えています。それは単に教会に所属しているということではありません。キリストの体としてしっかりとキリストにつながっているということは、キリストの心を持って歩んでいくということです。「キリストの心ここにあらず」ということではありません。



 私たちは、成果達成主義の社会で生きています。どれだけのものを生み出したか、その生産量を問われ、そのために効率化を求められます。しかし聖書では、数字はあくまでも結果としてのものです。聖書が大切にしている数字はその量や総数ではなく、「1」という数字なのです。ルカ15章のように、99匹を置いてでも迷子になった1匹の子羊を探し回り、そして見つかったら肩に抱いて喜び踊り、一緒になって喜んで欲しいと言う、その「1」なのです。1人を大切にする、それがキリストの心なのです。


20140928

 ある神学校のゲストルームの入り口に、部屋の番号ともう一つの札がありました。それは「この部屋の家具や備品は、何とか州の〇〇さんが献品してくれました」というようなことが英語で記されていました。私は素直に(?)、「あ~、〇〇さんのおかげで快適に泊まることができる」と思っていましたら、同行の先生はこれは「恥ずかしいこと」、「間違いにそれていきやすい」と言われました。

 その真意を尋ねると、自分の名前が残ること、褒められること、人々に認められることを、そういうことに価値を置きすぎると、褒められないことはさほど重要なことだと思わなくなり、認めてもらえない仕事はしようとしなくなる、それは大きな間違いだと言われました。

 確かにそうですね。私たちは誰が見ていても見ていなくても、大切だから、そのことに価値があるからこそするのです。自分を誇らず、人に褒められなくても、たとえ感謝されなくても、忠実に、真実に生きていく、それがキリストの心なのです。これは自分がしたんだと自分を主張しない、そういうさわやかな風が吹くキリストの心を聖霊によって持たせていただきたいのです。



 主の計画とは、スケジュールのことではありません。何月何日、何時何分、何をどのようにするかということではありません。主の計画とは、主の心のことです。キリストの心が中心となります。人は自分の人生設計として、こうなってあーなって、こうしたいからと計画を立てるものです。もちろん計画は大切ですし、無計画はよくありません。しかしキリスト者は、キリストの心を知って、そのキリストの心に動かされて生きていくのです。



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