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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「逃げないで」

先週は町田だったので、2週間ぶりの北見での礼拝。
1周抜けると、約2週間ほど顔を見れない方々もおられます。

この日は用事のあったはずだったIさんが出席できるようになり、
来るはずだったSさんが突然の出来事で出席できなくなり、
またHさんがとっても久し振りに出席されました。

午後からの分かち合いでは、Kさんの吐露される言葉に涙が・・・。
皆で心を合わせて祈り合うひと時を持ちました。

そんな11月最初の礼拝メッセージの断片集です。
 

 「こうなったのは、聖書の言葉が実現するためです」と主イエスは言われました。主イエスを信じたら、あなたの夢がかなうとは聖書に記されていません。あー残念・・・(笑) 主イエスを信じて歩んでいく時、聖書の言葉が私たちの人生に実現していくのです。「こうなった」、すなわち、そこに裏切りがある、暴力がある、暗闇がある、そういうふうになったけれども、しかしだからこそ、聖書の言葉、神の思い、神の力が、私たちの教会に、そして私たちの人生に実現していくと言われる主イエスを信仰をもって見つめようではありませんか。



20141102

 この短い聖書本文に「捕らえる」という言葉がKeywordとして使われています。「奪い取る」とも訳すことができます。「捕らえる」ことに、主イエスは違うと言われるのです。少し前に、主イエスがパンを裂いてこれを受け取りなさいと言われました。大切なことは、主イエスがくださるものを受け取ることです。アダムとエバのように自分の欲しいものを奪い取るのではなく、主イエスがくださるものを受け取る、それが信仰の歩みなのです。

 主イエスは、ゲッセマネの祈りで、苦き杯を取り除いてくださいと祈りましたが、最終的には、主の御心がなるようにと父なる神の思いを受けとめ、苦き杯を受けとめています。祈るということは、私たちが握っているものを手放すこと、主にお委ねしていくこと、主よ、あなたの御心がなるようにと、両手を開いて主に明け渡していくこと、それが祈るということなのでしょう。



 マルコの福音書にしか登場してこない、51節と52節のある青年のこと、この出来事、私は好きなんですね~。主イエスが捕まるという緊迫した状況の中で、自分も捕まえられそうになった。そして一生懸命、逃げようとして服だけ引っ張られて脱げてしまい、裸になって逃げていくって、まるで漫画のようじゃありませんか。

 この青年が逃げる理由は、明らかです。それは恐かったからです。何としてでも逃げたい、捕まらないようにと、恐れが彼の心を支配していました。闇に紛れてとにかく逃げました。暗い方へ、暗い方へと息づかいを荒くしながら逃げました。そして助かったと思った、何とか敵から逃げられたと思ったでしょう。
 
 しかし恐れている敵から逃げられたかもしれませんが、救い主イエスからも離れているという大きな事実に、私たちは気づかされるのです。

 私たちも、不安や恐れのあまり、逃げていること、目をつぶっていることをそのままにしていること、避けていることはないでしょうか。そこから逃げていると、そこから救いだして下さる主イエスからも離れてしまうことになります。私たちは今朝、聖餐式の恵みの中で、逃げないで、向き合う力を主イエスからいただこうではありませんか。主イエスが苦き杯を受け取り、十字架に向かって歩んでいったその向き合う力を主イエスからいただきましょう。逃げないで向き合ったそのところで、私たちは聖書の言葉が実現するのを見るでしょう。



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