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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

主が共に

日曜日の礼拝メッセージの断片集です。
マルコをお休みして、ギデオンシリーズに入りました。

イスラエルの民は7年も大きな苦しみを繰り返して、やっと主に助けを求めました。この7年を経るまで、イスラエルの民は政治的な不安定さを感じていたことでしょう。自分たちに王がいれば、こんなにミデアン人が攻め込むようなことはないだろうと。またミデアン人が略奪していくので、イスラエルの民は経済的な不安定をも痛感していたでしょう。そしてイスラエルの民は「非常に弱くなった」と記されています。

 しかし、一番不安定だったこと、また非常に弱っていたのは、政治的なことでもなく経済的なことでもありません。それ以上に、イスラエルの民は、主に向かう信仰が不安定だったのです。主の名を呼ぶという信仰こそが弱っていたのです。



 7年間、イスラエルの民がミデアン人の襲撃にあったということは、確かに苦しかったでしょう。しかし忘れてはいけないことがあります。それはこの7年間、どれほど主も苦しまれたかということです。何年たっても叫び声を助けを求めないイスラエルの民に対して、どれほど寂しい思いをされたでしょうか。

 主は、「ほれ見た事か、私を信じないからそんな目にあうんだ」と罪を裁いて見捨ておられるのではありません。罪がそのまま残ったままだと、主と正しい関係を築くことはできません。だからすぐにギデオンを遣わしたのではなく、わざわざ1人の預言者を通して罪を指摘するのです。聖なる神は私たちを愛しているからこそ罪をそのままにすることはできず、愛しているからこそその罪を洗い落とそうとしてイエス様を十字架にかけ、私たちと親しい関係を築く、そういう道を開いて下さったのです。そうやって罪が整理されて、初めて神の助けがイスラエルの上に臨んでいくのです。



20141116

 ギデオンが「大勇士」と呼ばれる理由は、ギデオン自身にあるのではなく、主が共にいるから、つまり、主の側にあります。「私のような小さな者には、とても無理だ」、そういう思いが私たちの中に沸いてくるでしょう。しかし、「私には無理だ」、そう気付いたなら次の一歩を進む必要があります。つまり「私には無理だけれども、神が共にいるから大丈夫だ」、そのようにどこまでも主が共にいると信じていく者、それが「大勇士」なのです。

 主の力は無限大です。自分には一の力しかなかったとしても、神様には無限大の力があります。一+無限大も、百+無限大も、答えは同じ無限大なのです。私たちの側に何ができるかということ以上に、偉大な主が共におられるという信仰に立つ、このことが大勇士の信仰なのです。



 「主がともにいるなら、どうしてこんな事態になるのですか」、そのようにギデオンは訴えます。その気持ちはよく分かります。それに対する主の答えは、「わたしがあなたを遣わす」でした。つまりこういう事態の中で、主が共におられないのではなく、共におられる主が私たちを遣わし、私たちを用いてその事態を変えたいと願われるのです。



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