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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

シャローム

この日は、仕事や体調を崩して休まれた方々がいつもより多くおられ、
主の癒しを祈りつつ、全能の主を見上げ、私も大いに恵まれました。

特に午後の分かち合いは、本当に豊かなひと時でした。
確かにキリストが真ん中におられ、優しく微笑んでおられるようでした!

その後に、クリスマスの飾り付けをしました。
今年は、生のリースが加わって感謝です☆

 ギデオンは主を見上げる中で、「安心せよ、恐れるな」という確かな神様の御声を聞きました。酒舟の中に隠れている時には「主が共におられる」分かりませんでした。しかし主を見上げて、つまり礼拝を捧げて、その時初めて「そうだ、主が共におられるんだ、大丈夫だ」と平安を得ることができました。ミデアン人たちの脅威という状況はまだ何も変わっていませんが、ギデオンは礼拝を捧げることで、外側の環境に左右されることのない平安に満たされたのです。



 「主は平安」だからこそ、平安と呼ばれる主なる神と親しく交わる礼拝を通して、私たちの内側にも平安が形作られていきます。全身全霊全力で礼拝を捧げる時、私たちの内側は、不満や恐れが小さくなり、平安に満たされていくのです。
 
 私たちは礼拝共同体です。共に賛美を捧げ、御言葉を聞き、主に祈ります。さて、主の日に捧げる礼拝の中心は何でしょうか? 時々、牧師のメッセージが礼拝の中心のように思われますが、牧師のメッセージが礼拝の中心ではありません(残念ながら・笑)。礼拝の中心は、主なる神です。主を賛美し、主の言葉を聞き、主に祈る、主に信仰告白をするのです。だからメッセージに間に合えば、「セーフ」ということではありません(笑) 

 

20141123

 ギデオンは、夜、偶像を破壊しました。なぜでしょうか。「父の家の者や町の人々を恐れたので」と聖書は本当に正直にその理由を記しています。やがて英雄となるギデオンですが、初めから英雄、大勇士であったわけではありません。礼拝を捧げて、「主は平安」と祭壇を築いても、尚も自分の父と町の人々を恐れていました。だからギデオンは人目につかない夜、実行しました。「主は平安」だと分かってはいるものの、しかし「私はまだ恐れる」という感じです。しかし行わなかったのではなく、恐れながらも行ったのです。かつては隠遁者のように隠れていた者が、礼拝者となった時に、少しずつ強められているのです。少しずつ強められているギデオンの姿、それは礼拝を捧げる私たちの姿がここにあります。



 「ギデオン」という名は、「切り倒す」という意味だそうです。彼はその名のとおり、偶像を切り倒しました。自分の内側の悪、不安を切り倒しました。そしてまことの神、平和の主に聴き従う道を開いていきました。今、私たちの内側に、切り倒すべきもの、取り除かなければならないものはないでしょうか?



 ギデオンは神の言葉に従ったのに、町の人々から命を狙われる結果になりました。神の言葉に従ったことが、一見状況を悪くしているかのように思えるのです。しかし、そうではなく、大きな変化がありました。聖書を読みながら、私の心もおどります。それは、ギデオンの父ヨアシュの心が変えられていたということです!

 自分の家に偶像を建てていたあの父親が、バアルを否定する言葉を述べるのです。町の人々に責められても、ギデオンを擁護し、今まで拝んでいたバアルやアシェラを否定するのです。偶像を壊したのはギデオンですが、その後の事、父の心を変えて下さったのは、神の働きなのです! それはギデオンが一番不可能だと思っていたことでしょう。そういう神の働きをギデオンは目の当たりにすることができたのです。ある人は、この時代の宗教改革は、ギデオンの家庭から始まっていったと言います。ギデオンの家庭から始まった宗教改革、つまりリバイバルです!やがてギデオンの家庭だけではなく、ギデオンの町だけではなく、イスラエル全体が、真の神に立ち返っていく、そういう神の業を拝するのです。



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