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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

単なる衣ではなく

アドベント第1週の礼拝を捧げました。
説教箇所はクリスマスらしいものではありませんが、
賛美や聖書朗読、また下記にはありませんが説教の中でも、
主イエスの降誕について触れています。

この日は、礼拝の中でギデオン協会の報告と祈祷があり、
礼拝後は昼食を食べながら分かち合いをし、
午後3時から英語礼拝でした。

10月の英語礼拝のレポートもまだ終わっていないのですが、
この11月の英語礼拝、とっても主の恵みが豊かなひと時でした♪

 「主の霊がギデオンを覆ったので」と訳されています。しかしヘブル語の単語、文法をよくよく読むと、ここは不思議な表現をしているようです。実はギデオンが主の霊を衣のように着たのではなく、主の霊がギデオンを着たと訳す方が、ヘブル語の動詞の形から、文法上はすっきりするとのことです。ギデオンが聖霊を身にまとったのではなく、聖霊がギデオンを身にまとったということです。

 はい、皆さんの頭の上にある「?」がよく見えます。少し私たちの理解を越えています。この私たちの理解を越えているところに、実は神様の素晴らしい真理があります。ギデオンが御霊を身にまとったのではなく、御霊がギデオンを身にまとったということ、それはギデオンは単なる衣に過ぎないとAGの神学者は指摘しています。つまりどういうことか、御霊、聖霊、主の霊は単なる衣ではないということです。聖霊は、私たちの人生の飾りではないということです。私たちが必要に応じて聖霊を用いるのではなく、聖霊が私たちを用いて下さるということです。

 御霊と共に歩む、御霊に導かれて歩むということは、必要とする時だけ聖霊を着て、必要でない時には脱いでしまうような、そういう歩みではないということです。主の霊におおわれるということは、私たちの人生の主導権を御霊が握っていて下さり、徹頭徹尾、御霊なる神に明け渡し、御霊なる神に導かれていくということです。聖霊が前後左右、内からも外からも私たちを取り囲み、満たされていくということです。聖霊が私たちの前を歩み、そしてまたしんがりとなって後ろから支えて下さるということです。
 
 これは本当にすごい真理だなぁと心が震えます。ギデオンの出来事は、徹頭徹尾、ギデオンの能力ではなく、神の出来事だということがよく分かります。



20141130

 ギデオンの父ヨアシュの心が変えられていたことを、先週分かち合い、主の御名を崇めました。さらに今朝驚くことは、ギデオンが聖霊に満たされて、戦いの合図である角笛を吹いた時、アビエゼルの人々はギデオンに従ったということです。アビエゼルとは、ギデオンの町の人々です。ついさっきまでギデオンを殺せと言っていた人々が、今度はギデオンに従うのうです。ギデオンが一生懸命説得したのでも、ましてや賄賂を渡したのでもありません。主の霊がギデオンをおおい、角笛をを吹いた時に、アビエゼルの人々はギデオンに従ったのです。

 私たちも聖霊に満たされて、聖霊に従う時、神は不可能だと思うような道を開いて下さるのです。「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」、そう約束して下さった主の御霊に今日も満たされてまいりましょう。


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