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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

美しさ② 【No.147】

旧約聖書の「伝道の書」3章1-11節に、
全てのことには時があることを記されています。
そしてそれら全てにおいて、
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」
と結ばれています。

   

   天の下では、何事にも定まった時期があり、
   すべての営みには時がある。

   生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
   植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
   殺すのに時があり、いやすのに時がある。
   
   くずすのに時があり、建てるのに時がある。
   泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
   嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
   
   石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
   抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
   捜すのに時があり、失うのに時がある。
   
   保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
   引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
   黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
   
   愛するのに時があり、憎むのに時がある。
   戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

   働く者は労苦して何の益を得よう。
   私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。
   神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
   
   神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
   しかし、人は、神が行なわれるみわざを、
   初めから終わりまで見きわめることができない。


人生の様々な営みを挙げながら、
それらは「時にかなって美しい」と聖書に記されています。
確かに生まれること、植えること、いやすこと、建てること、
ほほえむこと、踊ること・・・、そういうことは美しいなぁと思えるのです。

しかし死ぬこと、引き抜くこと、殺すこと、くずすこと、
泣くこと、嘆くこと・・・・、そういうことは美しいとは思えませんでした。

それでも昨日記したように、会社をたたむという経営者の姿、
それはくずすことであり、嘆くことであり、失うことなのですが、
そこには今まで見えなかった「美しさ」を見ることができました。
私はその経営者の後姿をしっかりと見つめています。

十字架

今まで「美しくない」と思っていたものの中に、
神様は「美しい」と言わせて下さるものを造り出して下さるのでしょう。
「美しくして下さる神」を知っているなら、
その美しさは、どんな中にでも見させて頂けるのだと思います。

そう、それはあの忌み嫌われた血みどろの主イエスの十字架が、
神の栄光を現すものとなっているように。


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