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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

「私たちの祈り」ではなく

 昨日は、幸いな元旦礼拝を持つことが出来ました。皆さんと賛美を捧げながら、「主はあってある者。主は生きておられる。主はここにおられる」という、主なる神の臨在を覚えずにはおれませんでした。何が嬉しいか、感謝かと言いますと、何かが起こるとかそういうこと以上に、共に主の臨在を覚えずにおれないという喜びはありませんね。以下、元旦礼拝メッセージの断片集などです。

 大阪にあるミッションスクールで、生徒が教師に「先生、主の祈りはどうもピッタリこない」と言ったそうです。ただ唱えているだけということなのでしょう。そこで先生が、「ではぴったりくる祈りを作ってみるかい」ということになり、「主の祈り」ではなく「私たちの祈り」というものを生徒が作ったそうです。
 
 「私たちの祈り」
  願わくはこの私が他の誰よりも有名になりますように。
  そして全てのものを私に支配させて下さい。
  また私の思う事がすべて実現しますように。

  私の日常の糧を今日だけと言わず、
  死んでも食べきれないほど与えて下さい。
 
  私を傷つけるものは絶対に許さないで、
  徹底的にやっつけて下さい。
 
  だけど私の過ちはそっと見逃し、
  全てをなかったことにして下さい。
 
  誘惑にも少しは出会いたいなぁ。
  悪いことをしてもどうか見つかりませんように。

  国も力も栄も私のもの、私のものは私のもの、
  あなたのものも私のもの。 アーメン


 どうでしょう。面白いですね。言葉は違っても、もしかすると似たり寄ったりの心の本音というものが、私たちにもあるかもしれませんね。真実に祈るということと、自分の心に正直に祈るということは違います。自分の心に正直とは、我がままになってしまうものが、私たちの罪ある心にはどうしてもあります。真実に祈るとは、自分の心を神の思いに合わせていくことです。そういう祈りを主は私たちに教えて下さいました。誰に祈るのか、何を祈るのか。「主の祈り」の中で、私たちのねじれているところが、真っすぐにされていくのです。



20150101
メッセージのエッセンスは、コチラ(約250字)

 「天まします我らの父よ」と呼びかけることから、主の祈りが始まっています。誰に祈っているのかということをいつも確認するのです。それは、天におられる父なる神です。「天を知っている」、それはキリスト者の大きな特権です。天とは、神の臨在、神の支配です。私たちはこの世に、地上で生きています。そして事の一部しか分からないものです。しかし天の父なる神は、全てをご存知なのです。



 キリスト者は、決して無風状態に生きているわけではありません。今年も戦いがあるでしょう。不安や恐れを伴う出来事も、サタンの働き、また愛や信仰が小さくなることもあるでしょう。しかしその時、主の祈りを思い出して、日ごとの必要を主は与えて下さるということ、真に必要なものは全てを与えて下さるという信仰に聖霊によって立ち続けて参りましょう!人と人との関係において決定的に必要な愛と赦しも、悪の誘惑に負けない力をも主が与えて下さいます。



 元旦礼拝で「明日を守られるイエスさま」を賛美しました。「明日はどんな日か私は知らない。晴れか嵐か、曇りになるか。私は明日を心配しない。イエスが私を守られるから」と歌い始めるこの歌詞を見たある人が、「何だか天気予報の歌みたい」と言われたそうです(笑) 決して天気を気にしているわけではありません!



 またある青年が壮年の集会でこの賛美を聞いた時、「何か演歌みたいな賛美を歌っていた」と言われていたのを覚えています(笑) 決して演歌ではありません。上のYouTubeを流していたら、妻いわく「カントリー風な曲調が原曲だったら、日本語で歌うと演歌調になるというのも分かる」とのことです。私としては、以下のようにしっとりと賛美したいのですが、私の奏楽ではそうはなりませんでした(笑)



 お互いのためにも祈り合い、また体の不調を訴えている方、新しい歩みを始める方のために、特別に祈りの時を持ちました。明日を守られる主イエスを信じつつ。

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