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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

誰もいなくて

 ここ最近は吹雪くことなく、天候としては穏やかで雪かきをしなくても良いので助かっていますが、凍てつきが半端ではありませんね。最低気温はマイナス20度を下回り、最高気温もマイナス5度とかです。「マイナスが最高」って、面白い表現ですね。

 そんな気候の中で、主の御そば近くに進み出られた皆さんの心が温められたでしょうか。新年礼拝のメッセージ断片集です。年末から舌の付け根あたりに口内炎ができたようで、ちょっと話しにくかったのですが、それでも無事に語ることが出来ました。

 夫婦の会話の中で、「上の空で返事をしているなぁ」と妻の顔と返事を聞けば分かります。また私は聖徳太子ではないので、テレビを見ていたり、本を読んでいる時に話しかけられると、両者の言っていることが分からなくなります。まぁ、夫婦はお互い様でしょう。

 スーパーが母の日に募集したお母さんの似顔絵のほとんどは、耳がないかとても小さかったそうです。2つある耳がなくて、反対に口は大きく大きく描かれていたそうです(笑)
 
 人の話しを聞けなくなっている時代に生きているように思います。聖書が「愛が冷える」と教えている一端があるのでしょう。自分の主張が強く、コミュニケーション、対話が本当の意味で出来ないのです。相手の言葉を聞けないから、聞こうとしないから、自分の言い分も聞いてもらえません。

 キリストの言葉を聞くということ、それは人格的に私に語られる主の言葉を聞くということです。右の耳から左の耳に抜けていくような聞き方ではなく、私たちの生き方となっていく、あるいは生きる力となっていくという聞き方です。



 主への祈りなしに、主の言葉は聞こえてきません。主に祈る時、それは私たちの霊と心が主に向かっているので、主の言葉が聞こえるのです。霊的に、信仰的に聞こえてきます。



20150104
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 主は何と言われているか。事あるごとに祈りつつ主に尋ねて下さい。つぶやきから祈りへです。もちろん「私はこう思う」という、私たちの思いを主は無視なされず聞かれます。しかし私たちは主の思いを聞いているでしょうか。主はこのことをどう思われているだろうかと、主に尋ねているでしょうか。主の思いを無視してはいないでしょうか。自分の思いにこだわるあまり、主の思いにこだわることを忘れてはいないでしょうか。



 「彼らが目を上げて見ると、誰もいなくて、ただイエスおひとりだけであった」というこのことは、とても大切です。もう主イエスの着物は白く輝いていません。旧約聖書を代表する人物であるモーセもエリヤもいません。しかし主イエスだけは、共におられるのです。

 ペテロは光輝く主イエスやモーセとエリヤを見て、感激し興奮していました。私たちも礼拝や聖会で、涙が出るほどに感激し、感動することがあります。もちろん良いことです。今年も礼拝や聖会、祈りつつ備える特別行事を通して主の恵みを頂きたいのです。

 しかし皆で捧げる礼拝、ボリュームのある賛美、BGM付きの祈りは週に1度です。また北海道聖会のように大勢で礼拝を捧げるのも1年に1度です。聖会は終わるのです。年から年中、札幌で聖会を行うわけではありません。モーセやエリヤのような、雄弁に語る特別講師もそれぞれの教会に帰っていきます。私たちも北見に帰ってきます。そして礼拝の後は、それぞれが現実の生活に戻っていきます。

 その時、家庭や職場ではいろいろとあります。一気に現実感が増してきます。あの聖会で恵まれたこと、賛美したこと、祈ったことも、どこかに飛んでいくかのような思いになるでしょう。毎週の礼拝でも、主に触れられて涙を流して祈った、あの時の天にまで昇ったかのような幸福感が、なくなってしまう現実に私たちは戻っていきます。

 それでも愛する兄姉、忘れてはいけないことがあります。それは主イエスだけは、いつも、いつまでも、どこででも、あなたと共におられるという、現実の中でこそ働く信仰の事実です。

 私は皆さんの生活について行って、何かがあったらピアノを弾いて、祈りやすい雰囲気を作り出すことはできませんし、そんなことはしません。しかし雰囲気の良くない、雑踏と思われるところであったとしても、そこで心を主に向け、主の言葉を聞き続けようとする時に、そういう場違いと思われるところに主イエスは確かにおられるのです。 

 「起きなさい。こわがることはない」とペテロたちを励ましたように、恐れや不安で心がいっぱいになり、周囲が騒がしい状況の中で、私たちを励ます主イエスを見いだします。私たちが心を主に向けて「主よ」と祈りつつ、主の思いを知ろうとする時、釘打たれた手を伸ばし「わたしだ。安心しなさい」といわれる主イエスを、生活の現場で見いだします。そう信じて、聖餐の恵みに与ろうではありませんか。



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