FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

聞くということ

 1月11日の礼拝では、新年の標語に関するメッセージを分かち合いました。来週まで3回シリーズになります。クリスマスに引き続いて礼拝に来られた方々もおられ、感謝です♪また午後からの「三浦綾子読書会」も、じっくりと読み、考え、味わう幸いなひと時となりました。

 ある方が、自分の手帳に何年何月何日何時頃に、誰それがこう言った(心ない言葉)と記しておられたとのことです。よほどの言葉だったのかもしれません。「末代までの恨み。地獄に行っても忘れるもんか〜」とは時代劇での台詞ですが、心ない言葉に縛られ続けながら生きているそのことこそ、まさに牢獄にような歩みでしょう。

 ぜひ、皆さんの生涯の中で、自分を励ましたあの人の言葉、忘れられない一言を思い出してみて下さい。それはその背後で、主があなたに愛を示そうとしておられたのです。

 先ほど紹介した「隣のおばさんの愛のある一言」が、兄と妹とを支えました。実際は、何百、何千、何万回と、傷つく言葉を聞いてきたことでしょう。しかしこの妹は、多くの心ない言葉を聞き流しながら、大切に心に聞き続けたのは、両親やおばさんの愛のある言葉でした。

 そういう言葉こそ思い起こし、聞き続けていく必要があります。主の言葉は、信じる心、信頼する心、信仰を生み出します。信仰とは、希望と愛とに結びついているものです。

 このポスター、誰も言ってくれないので言いますが、我ながら良いアイデアだと思っています(笑)いろいろな出来事を通して、主は私たちに語っておられます。目には見えませんが、ラジオの電波はいつも私たちの周りを飛んでいます。しかし、ラジオを聞くにはチューニングを合わせる必要があります。主が私に語られる言葉に私たちのチューニングを合わせるのです。それは心を主に向けるということでしょう。その時、愛のある主の言葉を聞けば聞くほどに、私たちの内側に信仰が生まれます。不信や疑い、空しさが生まれてくるのではなく、主を信頼する心、希望をもって信じ続けていく力が、キリストの言葉を聞く中で生まれてきます!



20150111
(誤字:9:9−17→10:9−17。
 約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 先週、せっかく数時間かけて、教会の駐車場と道路を雪かきをして奇麗にしました。汗びっしょりになって、着ていた服を全部着替えて、コーヒーを飲んでいたら、「ドッドッドッドッドッ」という音が聞こえてきます。「まさか・・・」と思ってみると外を見ると、まさにその「まさか」。除雪車がやってきて、アスファルトのような雪の塊を教会前に積んで行きます・・・。「あー、どうせだったらもう少し早く、着替える前に来てよ〜」と思いながら、もう一度、かき分けられた重いガレキのような雪を運び出します。

 一晩中漁をして、恐らく網を片付けて、ヘトヘトに疲れていた弟子たちに、「沖へ漕ぎ出し、網を降ろしなさい」と主イエスは言われました。「え〜、どうせ来られるなら昨晩の内に来て下さいよ〜」と弟子たちは思ったことでしょう。そう、雪かき後の私のようにです。しかしペテロは「お言葉ですから」と舟を沖へ漕ぎ出し網を降ろしたところ、おびただしい数の魚がとれ、ペテロは主を仰ぎました。

 今年、主イエスは皆さんにチャレンジを促す言葉を語られるでしょう。「いやぁ、イエス様、弟子たちが一晩中働いてくたくたのように、私も去年それをやってきました。しかしどんなに頑張っても、何も前進しませんでした」、そう言いたくなる現実があるかもしれません。苦手なこと、しんどいこと、面倒くさいこと、ふたをしめておきたいことに、主はチャレンジを促されるでしょう。

 しかし、もし主がそうしなさいと言われるなら、それに聞き従おうではありませんか。聞くことは、聞き従うということです。「主よお言葉ですから」と聞き従う力を聖霊によって頂き、主の御業をご一緒に体験しましょう!主はご自身の言葉に責任を持って下さるお方なのですから。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |