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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

神秘主義ではなく

 1月第3週目の主日礼拝で分かち合ったメッセージの断片集です。この日は、急きょ入院された方、天候不良で飛行機が引き返して帰ってこれなかった方、仕事の方々などがおられました。雪は土曜日に降ったので、雪かきは土曜日となり、日曜日の朝は除雪機がかき分けた後の塊の雪でしたが30−40分で終わったので助かりました。とてもしばれた日でしたが、穏やかな天候の中で礼拝も穏やかな感じでした♪

 日本語って、難しいようですね。特に日本へ来られる宣教師は、言葉で苦労することも多いようです。その宣教師たちの言い間違いって、面白いものが多いものです。

 私が実際にこの耳で聞いたものとしては、友人の結婚式でのことです。アメリカの宣教師がこれから新郎新婦が入場しようとするその時、司式をされる宣教師は大きな声で言いました、「シンロー、シンプ、タイジョー!」。タンタタターン♪

 ある宣教師は、ルカ15章の「放蕩息子の帰郷」で、「父親が息子を見つけて走りよりハグをし、何度も接吻をしました」と言いたいところ、「父親は走りよって息子をハグし、何度も切腹をしました!」と言われたそうです。

 他にも、「さあ、あなたは罪と手を切りなさい。そうすれば天国へ行けます」と言うところを、「さあ、あなたは妻と手を切りなさい。そうすれば天国へ行けます」・・・・(笑)

 人は多くの言い間違いをするものです。しかし、神には言い間違いがありません。



 神には言い間違いはありませんが、私たちの側が聞き間違いをすることは多分にあります。人は自分の聞きたいことを聞くものです。聞きたくない言葉をスルーする傾向があります。そして自分の聞きたいことを聖書に読み取ってしまい、聞き間違ってしまうことがあります。



20150118
(1月11日ではなく、1月18日です。約250字のエッセンスは、コチラ

 私たちは神の奇跡を疑うことなく信じています。しかし私たちは神秘主義ではなく、聖書信仰に立っています。聖霊は聖書を無視しません。なぜなら聖書は聖霊によって記されたからです。



 創世記50章20節は、私の人生の土台にしている1つの御言葉です。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさい ました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」。

 神の愛は、人の裏切り、人の悲しみを覆い、圧倒します。神の善は、悪に負けないということです。神の愛は、広くて大きいのです。私たちの頭の中で考えるストーリーに、神の愛の計画を納めきることなどできないのです。



 愛することは、美しいことではないでしょう。愛することは、傷つくことです。ある宣教師が「愛するとは、人の膿をすするようなもの」言われたような一面が確かにありません。自分が傷つかない程度の愛し方であれば、本当のところ、自分を愛しているという枠から抜け出ていないのかもしれません。

 愛することに浸かれ、「もう止めようか、もうあきらめようか、もう降りようか」と思うこともあります。しかしその時、最後の最後まで愛し続けた主イエスを思い起こしていきたいのです。「十字架から降りてこい」と、何度も何度も、そう言われたけれど、主イエスは十字架から降りなかったのです。裏切られても、ののしられても、最後の最後まで、主イエスが愛を現して下さったその愛が、今日も私たちに注がれているのです。

 そして何か目立つような、人から認められるような大きなことをするということ以上に、主が私たちの周りにおいて下さっている方々を主の愛で愛していくこと、そういう歩みを主イエスは私たちに願っておられますし、そういう道を十字架と復活で開いて下さったのです。今朝、聖霊によって、ますます神の愛に満たしていただこうではありませんか。



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