FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

後ろ姿

 25日の礼拝メッセージの断片集です。この日は前日の雪かきでかなりの筋肉痛でしたが、午後からのEnglish Serviceを終えて、朝ごとに新しい主の恵みを覚えずにはおれませんでした。

 新潮文庫の名作100に数えられる三浦綾子さんの『塩狩峠』に、主人公が少年時代に父親の死を経験し、その遺言を読む場面があります。私はその遺言の中に書かれていることが忘れられません。

 「日常の生活において、父が言ったこと為したこと、すべてこれを遺言だと思ってもらいたい。わたしはそのようなつもりで、日々を生きてきたつもりである」

 親の背中を見て子は育つと言います。また親だけではなく、私たちも背中で信仰を語り、証しするものでしょう。すなわち私たちの日常の生活が信仰の遺言となっていくような日々を過ごしているだろうかということです。もちろん正面も大切です。しかしどんなに正面をきれいにしても、後ろ姿は自分では見えないものです。私たちも日常生活の後ろ姿を通して、信仰を証しする者でありたいのです。

 今日のルツ記、姑のナオミの信仰の背中、信仰の後ろ姿を見つめましょう。



 全てを失ったかのように見えても、私たちには信仰があるということ、このことをもっと大きく評価しても良いのです。決して過小評価してはいけません。たとえ職を失っても、それでも希望を失わないで歩んでいける力が信仰にあります。健康を損なっても、病に負けないで歩んでいける力が信仰にあります。喜びをかき消す悲しみ覆われても、それで灯火を消さないで生きていく力が信仰にはあります。

 私たちから神を信じると言う信仰、希望、愛は、誰も奪い去ることはできないのです。いつまでも存続する信仰が与えられていることを感謝し、聖霊に励まされて信仰を働かせて歩んでいこうではありませんか。



20150125
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 17節の後半に「主が、幾重にも私を罰してくださるように」とルツがナオミに話しています。これは驚きの言葉です。私たちは「100倍、60倍、30倍の祝福を与えて下さい」と祈りますが、「もし主の御心にかなわないならば、私が主との約束を破るようなことがあれば、何十倍にもして私を罰して下さい」と祈るでしょうか。

 「もし~であるならば、主よどうぞわたしを幾重にも罰して下さい」とは、聖書の中に何度も出てくる祈りの表現、誓いの形式、イスラエル人の祈りの言葉なのです。異邦人であるルツが、そのイスラエル人の祈りの言葉、誓いの形式の文句を知っているということは、それはナオミの祈りを耳にしていたからでしょう。ナオミの誠実な祈り、真実に主に祈っている祈りの言葉が、ルツ自身の祈りの言葉になっていたのです。



にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村

礼拝メッセージの断片集 |
| ホーム |