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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

背筋がいい

 土曜日、日曜日、そして月曜日と暴風雪による雪かきが続き、体が痛い・・・。重い雪でいい汗をかいているのですが、減量とはつながらないのが不思議です(笑)

 日曜日は、来られるはずだった4名の方々が、通行止めや暴風雪のために、礼拝には集えませんでした。来れなかった方々の分も、真実に礼拝を捧げました。そして来れなかった方々の分も、巻き寿司愛餐会でたくさんの巻き寿司を食べました!

(隣町から来られているMさん。今回も帰れずに、教会で1泊され、翌日の雪かきを手伝ってくれました)

 北海道に来て麦畑を見て思うこと、それは麦ってこんなにピンっと立つんだなぁということでした。やがて実ると垂れるのですが、青々としている時の麦の真っすぐに伸びる様、背筋がいい 猫背じゃない、見ていてとても気持ちがいいのです。ピンっと真っすぐに空に向かって伸びている麦畑、私は好きですねぇ。



 2章21節で「モアブの女ルツは言った」と、聖書はわざわざルツがモアブの女だということを確認させています。1章でそのことを私たちは知っていますし、ナオミとの会話の中で、不自然のようにも思える修飾語、説明文です。

 ルツがモアブの女だということ、それはイスラエル人ではなく、異邦人だということです。異邦人は、真の神を無視して生きる人々ゆえに、神から呪われ、神の恵みから漏れているということです。本来は神の恵みから遠いはずの女であったルツ、夫を亡くしたルツ、外国に来た異邦人のルツ、もう自分の人生は、そんな大きな幸せとか無いように感じていたルツ、その「モアブの女ルツ」が、今は恵みの真っ只中にいるということを、聖書は驚きと感動を持って伝えるために「ルツはモアブの女ですよ!」という説明文に込めているのです。



 様々な出来事の中で、神の恵みが無い1日は、この歴史上に1日もありません。主の恵みは、朝ごとに新しいのです。恵みを拾い集め、恵みを数えて感謝するということ、そして恵みを見出していく日々を、私たちは歩ませていただこうではありませんか。



20150215
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 一粒、一粒の落ち穂を拾うように感謝を数えるのを忘れてしまうと、その慣れの果てはあのお岩さんのようになってしまいます。感謝ではなくうらみを数え続けて、一枚、二枚、あの時も、この時も、「うらめしや〜」・・・・。



 先々週の水曜日、手術の前の○○さんの、トイレへ行かれる姿が、まるで麦のように背筋が伸びて、どうどうとされているのに驚き、思わずその後姿を携帯カメラで撮りました。最近は手術室にも歩いて行くんですね。点滴をぶら下げながら、堂々と手術室に向かい、皆さんの祈りと、主の守りの中で6時間を超える手術が成功しました。

 私は当初、「もっと大きな病院の方が良かったのではないか」、「年齢を考えると、手術はしない方が良いのでは」と、素人なりにいろいろと不安を感じていました。しかし○○さんは、手術前も手術の後も、お見舞いに行く私の不安を包むように、「本当に病院の方々はよくして下さる」と感謝を数えられるのです。看護師や医師が、こんな風に、あんな風に、今日もこんなことが・・・と、目を細めて感謝を数えておられます。自分の病気の痛みや心配を数えても良いはずなのに、落ち穂を数えるように、1日、1日、感謝を数えています。

 そして看護師長を通して、ギデオンの聖書を30冊渡し、ぜひ病院の方々にと伝道し、病める方々が希望を持って歩んでいけるように祝福するのです。

 私が祈ると、続いて○○さんが祈られます。その口から何度か出てきた御言葉は、「いつも喜べ、絶えず祈れ、全てのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神が私たちに求めておられること」でした。まさに、不平不満を言わず、十字架を逃げ出さず、人々を愛し抜いた、主イエスの心が○○さんの内に滲んで見えます。

 あーだ、こーだ、へちまだと、嫌なこと、しんどいこと、面倒くさいこと、うらやむこと、うらむこと、マイナスを数えることに忙しくなってしまいます。しかし主イエスをしっかりと見つめていく時、パウロのように獄中でも主を賛美する者となるのです。



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