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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

HOME & VSITOR

 先週土曜日に「HOME & AWAY」の記事をUPしました。「アウェイ」でこそ信仰の力は発揮されること、そして結局のところ、私たちは「アウェイ」と思われるようなところでも、主が共におられる神の国の支配に生きているのですから、「ホーム」のように歩んでいけるというお話しでした。

 ただ聖書では、私たちがやがて行くべき天の御国を「天の故郷」、「天の我が家」と呼び、この地上での歩みを「寄留者」、「旅人」と呼んでいるという視点があります。そこで野球などでは「HOME & VISITOR」というように、「HOME」(天国)と「VISITOR」(訪問者・旅人)という観点(言葉)から、信仰生活を考えられるでしょう(残念ながらスポーツのお話しではありません・笑)。

M師の前夜式
(M師の前夜式)

 今年の1月末に天に召されたM先生の葬儀で、聖書学校19期生の先生方が「懐かしき住まい」(旧聖歌704番)を賛美されていました。葬儀の前に少しだけ合わせておられただけなのに、ハーモニーの美しさ、味わい深い独唱、そして信仰を同じくする心の共鳴が響き渡っていました。

 以前にも記しましたが(「ふるさとはとおきにありて④『天国編』」)子ども心に、行ったこともない場所に対して「なつかしい」と呼ぶことに、不思議な思いを持っていたのと同時に、それ以上に腑に落ちるものがありました。

 天国に行ったことがないのに、天国をふるさとと呼ぶことに違和感はありません。それは私たちが神の形に造られたものであり、私たちの存在が深いところで神の臨在を求めるものだからだと思います。アウグスティヌスが、神についての「なつかしい記憶」と呼んでいるものでしょう。

 私たちは懐かしい、真の「ホーム」である天のふるさとを目指しながら、この世では旅人として歩んでいきます。天のふるさとは、決して逃避ではありません。「もう生きていくのがしんどいから、早く天国に行きたい」と思うのは、感情としては同情しますが、聖書が教える信仰姿勢ではないでしょう。

M師の棺
(棺の上の聖書)

 確かに真の「ホーム」である天の御国は、夜がなく、悲しみも、病いも、死もありません。そこに希望を置きながら、この地上で旅人として生きている歩みの中で、主なる神が共におられるから、天の御国の前味を体験しつつ歩んでいきます。

 押しつぶされそうな暗闇があっても、そこに光が照らされます。主イエスが罪の悲しみを背負われたので、慰めと励ましが与えられます。病に負けない生きていく力と癒し、死が絶望に終わらず再会と復活の希望へと変えられる、そういう前味を旅人として味わいながら歩んでいけるのです。

 だからこそ、VISITORとして、旅人として、主を賛美しながら、懐かしい天のふるさとを目指しながら、今日できることを忠実に、愛を込めて、後悔しないように、歩んでいきたいのです。

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