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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

あなたの望むこと

 「2月は逃げる」と言いますが、あっという間に2月最後の主の日(日曜日)を迎えました。先週の暴風雪とは一変して、日射しのまぶしい北見の2月でした。

 礼拝メッセージでは、時間の関係で丁寧に語れなかったことも付け足しながらの断片集です。ちょっと説明的になり過ぎていますが・・・。

 宮本常一という日本中をくまなく歩いて調査した民俗学者をご存知でしょうか。瀬戸内海に浮かぶ周防大島という小さな島の出身の方です。

 島を出る時に、父親が10か条の教訓を与えました。このことを大切にして生きていけという父親の思いでしょう。その10番目に「人が見残したものを見るようにせよ。その中に大事なものがあるはずだ」というようなことが記されています。

 宮本常一は島を出て病気にもなり、紆余曲折を経ながらやがて晩成していくわけです。1つの視点として、柳田國男などが記さなかった、あるいは見なかったものを見つめた人です。評価はいろいろありますが、奇麗なところだけを見ようとはせず、日本中を歩きながら人が見ないようなところを見つめた人でした。その宮本常一の好きな言葉の1つが、「落ち穂を拾う」だったとのことです。

 彼の顔をwebで見ると、いい表情をしています。落ち穂を拾い、感謝を数える時、私たちの表情も自然と変わってくるのではないかなぁと思います。先週、落ち穂を拾うように、恵みを数えて過ごされたでしょうか。あるいは、不平や不満をお岩さんのように数えていたでしょうか(笑)人が見残しているところ、何もないように思えたとしても、信仰をもって、つまり神を信頼しないと見えて来ないものがあります。落ち穂を拾うこと、恵みを数えることを私たちもますます大切にしようではありませんか。



宮本常一

 ナオミとルツ、そしてボアズが、それぞれがそれぞれのことを大切にしているハーモニーが3章にあります。ルツは驚くべき言葉を言いました、「私におっしゃることはみないたします」(5)。「無茶言わないでください」、「用事ばかり言いつけないでください」ではありません。

 ボアズもそうです、「あなたの望むことはみな、してあげましょう」(11)。いやぁ、こういう言葉は、恐ろしくて言えませんね(笑)皆さんはよく口にされますか? 私だったらせいぜいこう言います、「私のできることはさせてもらいます」。つまり、条件付きです。「できないことはしません」が裏打ちされています。また口には出さないものの「私の良いと思うことはします」という気持ちはあります。「あなたが望んでも、それは違う」と思うことはしません。皆さんはどうでしょうか?

 「いやいや、相手が望むことをみなしたら、相手の我がままが過ぎる。その人のためにならない」と私たちは、理性を働かせます。もちろん、それも1つの正しさですし、1つの常識です。しかしルツもボアズも「あなたの望むことはみなします」と条件をつけずに愛を行動に現しています。これは「いつもそうでなければならない」という規範ではなく、ある時においては相手に対して無条件に愛の行動をする場合があるということです。「相手のためにならない」という制限ばかりして、無条件の愛を示すことがあるだろうかという問いかけです。

 またその根底には、信頼関係があるからでしょう。お互いに悪を求め望むようなことはしない、あなた望むことは、本当に大切なことでしょう、そのことのためなら私は協力を惜しまない、そういう思いです。「私におっしゃることは、みなします」、「あなたの望むことは、みなしてあげましょう」、ルツやボアズの言葉にどうしても引っかかりを覚えてしまうほどに、私たちは信頼関係を結べなくなってしまっているのかもしれません。

 もちろん私たちは、人のために何かをすることもありますが、その行為が受け入れられなければ、憤ることも多いものです。「あんなにしてあげたのに」と。その時に、「相手が真に望んだことをしているのか」、あるいは「自分が相手のためと望んでいることをしているのか」が明らかになります。

20150222
(約250字のエッセンスは、コチラ

 主イエスが十字架で示された愛、私たちに注いでくださった愛は、どこまでも自分を無にして、私たちを生かすために、犠牲を払われた愛でした。「自分の間違いを認めて、悔い改めない奴は赦してやらない」とは言われませんでした。私たちが悔い改める前に、主を愛するよりも先に、主がどこまでも私を愛してくださったのです。その永遠の愛の前に、「相手を甘やかすことになるから」という私の小さな「正義」という名の言い訳は、行き場をなくしてしまいます。

 主イエスが私をどこまでも信頼してくれているのに、しかもその信頼を裏切り続けているにも関わらず、それでも愛と信頼を今日も示して下さっています。そのことが聖霊によって深められなければ、真実な愛は湧いてこないのでしょう。裏切られることを恐れることなく、取り越し苦労に終わることを嫌にならず、目の前にいる人を本当の意味で信頼していくには、主イエスが私の全てを知りながら、それでもプレッシャーではなく全てを包み込むほどの信頼を今日も私に示してくださっていることを味わう必要があるのでしょう。



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