FC2ブログ

北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

このコンビでなければ

今晩のおかず
 昨日紹介しました宮村武夫先生の説教「保線夫として」を読んでいて、信仰の襟を正さずにはおれない内容が続く中で、思わず笑みがこぼれた一節があります。

「天地創造から新天新地へ向かう主なる神の救いの歴史。新天新地を思うと、私は胸が熱くなります。『それはよく分かるけど、今晩のおかず何にする?』との妻の一声。このコンビでなければ、沖縄で15年生きてこられないのです」 宮村武夫著作Ⅰ『愛の業としての説教』より



愛の業としての説教

1つの思い
 さてある朝、いつものように聖書を1章読んで夫婦で分かち合った後、同じ礼拝堂の中でしばらくの間それぞれが祈りの時を持ちました。声に出して祈りつつ、またイスの間を歩きながらそこに座られる一人一人のことをとりなしつつ、あるいは席に座って主の名を静かに呼びながらまた黙想しつつしている中で、私の内に1つの思いが沸き上がってきました。それは、以下のような思いです。

 「人は罪から来る災い、不幸、刑罰が嫌だから、『主よ、助けて下さい』、『主よ、赦して下さい』と言い、罪を悔い改めると言うけれど、それは少し違うのではないか。
 罪の刑罰やそこからくる不幸ではなく、罪そのものがどんなに神を悲しませ、主なる神の御心を損なったか、それこそが悔い改めの中心ではないだろうか。神の悲しみを知ることのない、罪の何たるか、神の愛の何たるかは、結局のところ的がずれているのではないだろうか」



こうでなければ
 祈りの時を終えて早速、妻にそのことを分ち合いました。すると「そうねぇ。そうねぇ」とうなずきつつ、「ヨーカドーに行ったら買うもののことだけど・・・」と間髪入れずにスーパーでの買い物の話しに移っていきました。 

 男性と女性の違いと言えば、お叱りを受けるでしょうか。しかしきっとこうでなければ、私の観念的な黙想は現実味を帯びないのでしょうし、様々なことのある日常の中で買い物をしている方々に届く言葉も語れないのでしょう。「このコンビでなければ・・・・」という宮村先生の言葉を思い出した次第です。

にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 北見情報へ
にほんブログ村
日記 |
| ホーム |