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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

私たちにとってのモアブ

 天気の良い主の日を迎えました。連絡の無いままに礼拝を休まれている方々のことが、いつも心の片隅に気になりながら礼拝の最初の時間を迎えてしまうのは、聖なる神の前に喜びの礼拝の司式をする牧師として相応しくないことなのかどうか、気持ちが良いほどの天候に灰色の雲が浮かんでいるようです。

 それでも、礼拝で初めて聖書朗読の奉仕をされた方がおられました。55日の入院、大きな手術を経て、久しぶりに礼拝に集えた方がおられ、大きな喜びでした。また夕方のEnglish Serviceには久しぶりにGさんが集われました。子どもが大きくなっていて、Sちゃんの元気ぶりに似てきました(笑)シェアのひと時にGさんは涙を流しながら、「やっぱり神様のところへ来て良かった」と話されたのに目頭が熱くなりました。

 ペレツからダビデの系図が始まっています。ペレツって一体どんな人でしょうか? 今日は時間の関係で説明できませんが、4章12節にも出てきます。またもともとは創世記38章に登場します。このペレツも、その誕生は一筋縄ではありません。今、聖書日課で読んでいるダビデにしてもそうです。自分の子どもたちとの関係で本当に苦しい思いをしています。今週はダビデの悲痛の叫びを読むことになります。

 ルツ記最後に記されているこのダビデの系図には、男性の名前しか出てきません。ユダヤでは、そのようにしていたようです。しかし、このダビデの系図、またイエス・キリストにつながっていくこの系図の背後に、ルツがいたということ、いろんな痛みも辛いところも通ったけれども、それでも隣人を愛し神を信じ、忠実にコツコツと落ち穂を拾い続けたルツがいたということ、歴史の表舞台には出て来ないけれども、確かに主と共に歩んだルツをきちんと聖書は記しているのです。

 系図に名前があるということ(そこにない名前も含めて)、それはその人の全てを主がご存知だということです。そして主は、私たちの名前を呼んでおられます。その掌(たなごころ)には、私たちの名前が刻まれています。



20150315
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 聖書の読み方の1つとして、何度も出てくる言葉は、強調されているキーワードです、ルツ記では、「買い戻す」がそうです、その他にも、ルツのことを紹介している言葉で「モアブの女」という言葉が、この短いルツ記に7度も出てきます。

 このモアブは、死海を隔てて向こう側にある地域ですが、創世記から聖書を読み進めていくと、良いイメージとして描かれていません。その始祖はロトの子モアブです。つまりルツのことを「モアブの女」と呼ぶ時、「救われることのない異教の女」、あるいは「あの汚らわしいモアブの女」、そういうニュアンスもあるということです。

 ルツにとっては、モアブに生まれてきたくて生まれたわけではありません。ルツにとっては、自分の夫がこんなに早く亡くなるとは思っていなかったのです。また「もしあの時こうしていれば夫は助かったかもしれないのに」、モアブの地で起こった出来事に対してそういう思いを抱えていたでしょう。

 しかしルツはナオミを愛し、真の神、救いの神を信じ続けました。そしてボアズによってルツは買い戻され、妻とされたのです。それゆえにルツは、夫をなくしたという過去の痛みも、自分ではどうすることも出来なかったこと、絡まったもの、そういうものから救われていく4章へと導かれていったのです。さらにダビデ王の系図、ましてや救い主の系図に連なる者となったのです。本来はあり得ない「モアブの女」が。

 もしかすると、私たちも「モアブ」のようなものを抱えているかもしれません。自分で選べなかったこと、宿命的に諦めていること、自分の人生に重くのしかかっていること。出自のこと、選べない家族のこと、身体的なこと、人には言えないこと。あるいは、「どうしてあの時、こう出来なかったのか」、そういう思い出したくない後悔。

 そういう私たちにとってのモアブと言ってもいいものを、ボアズのように買い戻される方、すなわち、救い出して、癒して、立たせて、前を向かせてくださるお方、それが主イエスなのです。





 メッセージ全体を通して、思い出した賛美が “I Will Choose Christ"です。幾つかの歌詞があるようですね。私は“How many times・・・" のくだりが好きです。

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