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北の大地で 星を数えながら

~日々の出来事や感じたこと、聖書の言葉など 小さくても星のようにキラリ☆光ることを 分かち合えればいいなぁ~

週の初めの日

 久々の(1週抜けただけですが)北見での礼拝。初めてご一緒する方々と同じ方を見上げる礼拝も良いものですが、気心が知れた皆さんと捧げる礼拝は、やっぱりいいですね。

(ちなみに外出が続き、必然的に外食が続いていましたが、やっぱり我が家の食事と布団がいいなぁ、と妻と一致した次第です)

 初めての方々、久し振りの方々が、礼拝に集われました。教会で箱買いした「豚汁うどん」(91円)が飛ぶように売れ、食事をいただきながら感謝な分かち合いの時を持ちました。また夜のⅡ礼拝には思わぬ方々も来られ、主の大庭で過ごす感謝な1日でした。

 キリストの受難・十字架に最も近く歩み寄った者こそが、復活の主に出会うのでしょう。あるいは、十字架抜きのキリストを追い求めていたとしても、今を生きておられる復活の主に出会えないのだろうと思います。
 
 また8章では、「自分の十字架を背負いなさい」と主イエス様は言われました。自分の背負うべき十字架から目を背ける時、私たちは十字架と復活の主に出会うことは出来ないのでしょう。十字架の主イエスを見上げて、自分の背負うべき十字架・使命を背負う時(それは愛し続けること、忠実に仕えること)、私たちが心配していたこと、困難だと思っていた大きな石は、復活の主が既に転がしてくださっていることを私たちは体験します。



 人間って、聞いているようで聞いていないものです。キリストの言葉も聞いているようで、聞いていないことが多いものです。だから何度も思い起こす必要があります。



20150419
(約250字のメッセージのエッセンスは、コチラ

 聖書は、便利な情報、役に立つ言葉集ではありません。キリストの言葉は、人格的に私たち一人一人に語りかけるのです。だからまた聞きではなく、聖書は自分で読みましょう。頭で納得するのではなく、全身全霊で主の言葉を聞き、思い起こす時、私たちの人生が生き生きとしていきます。



 主イエスの復活したこの日は、安息日、土曜日が終わった週の初めの日、日曜日の出来事です。創世記1章にある、「光あれ」というあの1日、天地創造の1日目が復活の主イエスと共に再び始まるということです。

 父なる神は週の初めの1日目を、どのような思いで過ごされたでしょうか? 「あー今日から、天地創造をしなければならない。ちょっと大きな仕事で面倒くさいなぁ」、まるで私たちが月曜日に会社に行くような、そんな気持ちで集の初めの日を迎えたでしょうか? 「今日は、光を造って疲れた。もうこれで充分だ。早く寝よう」、そんな思いでその日を終えたでしょうか?

 もちろんそうではありません。天地創造の1日1日には、主の喜びが溢れているのです。光を創造することから始まって、6日目に私たち人間を創造するその時まで、どんなに愛おしんでこの世を造られ、どんなに喜んで私たちを創造されたことでしょうか。

 復活の主イエスと共に歩みということは、本来の、そういう1日1日を過ごすということです。罪や死の力を十字架と復活によって滅ぼされた主イエスと共に歩むということは、いろいろあったとしても、基本としてはそういう光と喜びの中で歩んでいく、そういう道が開かれたということです。



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